百人一首 86–90首:和歌の魅力と翻訳では伝わらない味わい

第八十六首 作者名: 西行法師(さいぎょうほうし)
和歌:
歎けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
ローマ字読み:
Nageke tote tsuki yaha mono o omowasuru kakochi kao naru waga namida kana

意味と背景:
西行法師は平安末期の代表的な歌人で、俗名は佐藤義清です。この歌では、月を見て悲しみを深める心情を詠み、涙が止められない様子が描かれています。彼の歌は自然と感情の融合が特徴的で、この歌もその典型例といえます。
翻訳では伝わらない良さ:
「かこち顔なる」という表現には、言葉に出さずとも悲しみを訴える様子が込められており、日本語特有の余韻と感情の機微が詠み込まれています。
第八十七首 作者名: 寂蓮法師(じゃくれんほうし)
和歌:
むらさめの 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮
ローマ字読み:
Murasame no tsuyu mo madahinu maki no ha ni kiri tachinoboru aki no yugure

意味と背景:
寂蓮法師は新古今集の撰者の一人で、自然描写に優れた歌人です。この歌では、秋の夕暮れ時におけるしとしとと降る雨(むらさめ)と、その後の霧の立ち上る情景が詠まれています。静寂と移ろいゆく自然の美しさが見事に描かれています。
翻訳では伝わらない良さ:
「むらさめ」という言葉には、日本語独特の微妙な雨のニュアンスが込められており、翻訳ではその繊細さを完全に伝えるのは難しいです。
第八十八首 作者名: 皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)
和歌:
なには江の あしのかり寝の ひとよゆゑ 身をつくしてや 恋ひわたるべき
ローマ字読み:
Naniwa e no ashi no karine no hito yo yue mi o tsukushite ya koi watarubeki

意味と背景:
皇嘉門院別当は、崇徳院に仕えた女房で、その恋愛歌は繊細でありながら力強い感情を含んでいます。この歌では、短い一夜の逢瀬を例えに、恋に身を捧げる覚悟を表現しています。
翻訳では伝わらない良さ:
「あしのかり寝」という表現には、短い時間や儚い愛の象徴が込められており、日本語の持つ比喩的な表現力が際立っています。
第八十九首 作者名: 式子内親王(しょくしないしんのう)
和歌:
玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば 忍ぶることの 弱りもぞする
ローマ字読み:
Tama no o yo taenaba taene nagaraeba shinoburu koto no yowari mo zo suru

意味と背景:
式子内親王は後白河天皇の皇女であり、その歌には深い感情が込められています。この歌では、命が尽きるならばそれでもよいが、長く生きるならば忍耐が弱まることを恐れる心情が詠まれています。
翻訳では伝わらない良さ:
「玉の緒」という表現には、日本語特有の美的な比喩が含まれており、命の儚さを象徴しています。この繊細な比喩は翻訳では十分に伝わりません。
第九十首 作者名: 殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)
和歌:
見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず
ローマ字読み:
Misebaya na oshima no ama no sode danimo nure ni zo nureshi iro wa kawarazu

意味と背景:
殷富門院大輔は後白河天皇の皇女に仕えた女房で、感情豊かな歌が特徴です。この歌では、海女の袖が濡れても色が変わらないことを愛や誠実さの象徴として詠んでいます。
翻訳では伝わらない良さ:
「袖だにも濡れにぞ濡れし」という繰り返し表現は、日本語の音韻の美しさを際立たせています。還、「色は変はらず」という部分に込められた比喩的な意味合いも、翻訳では難しい部分です。
概括

百人一首の和歌には、日本語特有の音韻や比喩が生み出す情緒や感情が織り込まれています。これらの歌を味わうことで、自然や人間関係への日本的な視点や感性を深く理解することができます。翻訳では捉えきれないこれらの魅力を感じることが、和歌の真髄を知る一歩となるでしょう。
最後

紹介している和歌はとても優れたものばかりですが、受け取り方は人それぞれだと思います。全く同じ状況環境にいたとしても、どう考えるかどう感じるかは人それぞれ。日本に生まれ、日本語を使ってきたからこそわかるものもあれば、当然そうではないものもあります。これが答えだと決めつけず、自分ならどんな風に表現するだろう?どこに注目するだろう?など考えて見るのも楽しいかもしれません。
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