古今和歌集 春上 第51—60首の魅力

和歌は、كشكل شعر ياباني فريد、إنه شكل فني يعبر عن المشاعر القصيرة ولكن العميقة وجمال الطبيعة。"مجموعة Kokin Waka"、كأول مجموعة في اليابان من شعر Waka الإمبراطوري、لا تزال قصائد واكا المتنوعة محبوبة من قبل العديد من الناس اليوم.。في قصائد واكا、اليابانية الفنيات الفريدة واللغة、الخلفية التاريخية منسوجة فيه、تقول الترجمات إنه من الصعب نقل كل شيء.。في هذه المقالة、تظهر قصائد Waka من 51 إلى 60 من قصائد الربيع من "Kokin Wakashu".、اسم المؤلف、القراءة الأبجدية الرومانية لشعر واكا、معنى、خلفية、وسننظر في النقاط الجيدة لقصائد Waka التي لا يمكن نقلها في الترجمة.。
第51首 作者名 読人不知(よみびとしらず)
قصيدة واكا
やまざくら わか見にくれば 春霞 峰にもをにも たちかくしつつ
الأبجدية الرومانية
Yama zakura waka mi ni kureba haru kasumi mine nimo o nimo tachikakushi tsutsu

معنى:جئت لرؤية أزهار الكرز الجبلية、يبدو أن ضباب الربيع يخفي كل شيء عن القمم والتلال。
الخلفية والصلاح:يضخن الربيع يعزز جمال أزهار الكرز الجبلية。شعور على الطراز الياباني الذي يلتقط بصريًا الظاهرة الطبيعية المتغيرة تسمى الضباب.。
第52首 作者名 前太政大臣(さきのおおきおおいまうちぎみ)
قصيدة واكا
年ふれば よはひはおいぬ しかはあれど 花をし見れは もの思ひもなし
الأبجدية الرومانية
Toshi fureba yowai wa oinu shika wa aredo hana wo shi mireba mono omoi mo nashi

معنى:أنا أكبر سنا وأكبر、عندما أرى أزهار الكرز ، لا أشعر بأي شيء من القلق。
الخلفية والصلاح:على الرغم من أنني أسرب عمري、يصف الكتاب كيف يشفي جمال أزهار الكرز القلب。هذا التغيير المتناقض في المشاعر يعطي طعمًا فريدًا باللغة اليابانية.。
第53首 作者名 在原業平(ありわらのなりひら)
قصيدة واكا
世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし
الأبجدية الرومانية
Yo no naka ni taete sakura no nakariseba haru no kokoro wa nodokekaramashi

معنى:إذا لم تكن هناك أزهار الكرز في هذا العالم、سيكون عقل الربيع أكثر سلمية。
الخلفية والصلاح:يصف الكتاب المنظور الفريد لجمال أزهار الكرز التي تخلط بين قلوب الناس。الطبيعة السريعة لأزهار الكرز والحركات العاطفية التي ترافقها、يرتبط بالشعور الفريد بجمال الشعب الياباني。
第54首 作者名 読人不知(よみびとしらず)
قصيدة واكا
いしばしる たきなくもがな 桜花 たをりてもこむ 見ぬ人のため
الأبجدية الرومانية
Ishi bashiru taki naku mo gana sakura hana taorite mo komu minu hito no tame

معنى:ほとばしり流れる滝がなければよいのに。向うの桜の花を折ってでも、見たことのない人のために持っていきたい。
الخلفية والصلاح:滝の音と桜の美しさが調和し、自然への敬意が感じられます。このような他者への心遣いと自然美の融合は日本文化特有のものです。
第55首 作者名 素性(そせい)
قصيدة واكا
見てのみや 人にかたらむ さくら花 てごとにをりて いへつとにせむ
الأبجدية الرومانية
Mite nomi ya hito ni kataramu sakura hana te goto ni orite ie tsuto ni semu

معنى:見るだけで終わらせずに、この桜の花を手折って人々に語り伝えたいものだ。
الخلفية والصلاح:桜をただ眺めるだけではなく、それを他者と共有したいという感情が鮮明です。人々を結びつける桜の力が詠まれています。
第56首 作者名 素性(そせい)
قصيدة واكا
みわたせば 柳桜を こきまぜて 宮こぞ春の 錦なりける
الأبجدية الرومانية
Miwataseba yanagi sakura wo kokimazete miyako zo haru no nishiki narikeru

معنى:見渡すと、柳と桜が色鮮やかに混じり合い、都がまるで春の錦のように輝いている。
الخلفية والصلاح:春の都の華やかさが詠まれており、風景描写の豊かさが際立ちます。日本の四季の美を象徴的に表現しています。
第57首 作者名 紀友則(きのとものり)
قصيدة واكا
いろもかも おなじむかしに さくらめど 年ふる人ぞ あらたまりける
الأبجدية الرومانية
Iro mo kamo onaji mukashi ni sakura me do toshi furu hito zo aratamarikeru

معنى:桜の色は昔と同じままだが、年を経た人はいつしか姿が変わってしまう。
الخلفية والصلاح:桜の変わらぬ美しさと、それに対する人間の変化を対比しています。時間の流れを思わせる感覚が深い余韻を残します。
第58首 作者名 紀貫之(きのつらゆき)
قصيدة واكا
たれしかも とめてをりつる 春霞 たちかくすらむ 山のさくらを
الأبجدية الرومانية
Tare shika mo motomete oritsuru haru kasumi tachikakusu ramu yama no sakura wo

معنى:誰が求めて折り取ったのだろう。この春霞が山桜を隠してしまうなんて。
الخلفية والصلاح:霞が桜を隠すという自然の移ろいを表現しつつ、それを惜しむ気持ちが込められています。自然に対する細やかな観察が見事です。
第59首 作者名 紀貫之(きのつらゆき)
قصيدة واكا
桜花 さきにけらしな あしびきの 山のかひより 見ゆる白雲
الأبجدية الرومانية
Sakura hana saki ni kerashi na ashibiki no yama no kai yori miyuru shirakumo

معنى:桜の花が咲いたようだ。山のふもとから白雲のように見えている。
الخلفية والصلاح:桜の花を白雲に見立てる比喩が美しい。自然の中で花が持つ神秘的な存在感が表現されています。
第60首 作者名 紀友則(きのとものり)
قصيدة واكا
み吉野の 山べにさける さくら花 雪かとのみぞ あやまたれける
الأبجدية الرومانية
Miyoshino no yamabeni sakeru sakura hana yuki ka to nomi zo ayamatarekeru

معنى:吉野の山に咲く桜の花、それを雪と見間違えてしまった。
الخلفية والصلاح:桜の花を雪と見間違えるほどの白さが際立っています。視覚的な美しさを自然な驚きとともに描く日本語特有の感性が光ります。
ملخص:翻訳では伝わらない和歌の美しさ

古今和歌集の春上第51から60首では、桜や春霞、老いと再生、自然との交感が主題となり、多彩な表現で春の美しさが描かれています。翻訳では伝わりにくいのは、和歌に込められた繊細な感覚や背景、言葉の響きの妙味です。
على سبيل المثال、「春霞」や「桜花」のような自然現象が、ただの視覚描写ではなく、移ろいや儚さを象徴する要素として詠まれる点です。أيضًا、桜の美しさが個々の感情や記憶と結びつき、人々の心を揺さぶるその様子は、日本人特有の季節感や文化に深く根ざしています。
مثله、和歌を通じて自然と人間の関係性や、日常の中に潜む非日常的な瞬間を感じ取ることが、日本語ならではの和歌鑑賞の醍醐味と言えるでしょう。春の和歌は、今なお日本文化の一端を担い続けています。
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