◇意外と多いです! 海外で活躍した競走馬 前編その1◇
◇海外競馬で活躍した競走馬◇ こんにちは。音咲ひとりと申します。 今回は海外で大きなレースにて活躍した競走馬を紹介したいと思います。 別の場所で懸命に走り、その名を響かせる競走馬の一部を、構成を分けて紹介していきます。 Q1:日本で初めて海外競馬で勝利をおさめた競走馬は? A1:1959年(昭和34)にアメリカで開催された、ワシントンバースデーHで勝利した、「ハクチカラ」という競走馬です 「ハクチカラ」の主な日本での勝利レースは、日本ダービー・天皇賞(秋)・有馬記念です。これだけでも見ると、当時かなり中〜長距離に強い競走馬だった事がうかがえます。 北海道浦河町生まれです。 Q2:海外でも人気のある日本の競走馬は? A2:調べるとたくさんいましたので、細かく分割して紹介していきたいと思います。いやー、競馬っていいですねぇ~~。 A2-1:当時フランス馬最強と呼ばれていたモンジューと、壮絶な競争のなか、2着と惜敗したエルコンドルパサー(EL Condor Pasa) 主な勝ちレースは1998年「NHKマイルカップ」、1998年「ジャパンカップ」、1999年「サンクルー大賞」。パリ・ロンシャンで行われた「凱旋門賞」前のレースである、「フォワ賞」に勝っていたため、当時の日本の競馬ファンは、「エルコンドルパサーなら夢の凱旋門賞を取れるかもしれない」という期待が湧き上がり盛り上がっていました。ですが結果は半馬身差の二着という惜敗。一着になったのは、地元フランス馬のモンジュー。 同年(1999年)モンジューは、日本で開催された「ジャパンカップ(国際G1)」に登録・出走しましたが、スペシャルウィークという競走馬が、名だたる外国産馬に1馬身と1/2 差をつけて勝利し、なんと凱旋門賞馬のモンジューは4着という結果で終わりました。 エルコンドルパサーは1999年に年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬に選ばれました。 引退し種牡馬生活を送っていましたがわずか3世代のみ残し、2002年7月16日に7歳で急死してしまいましたが、2014年に顕彰馬(競走馬の殿堂入りのこと)として表彰されました。 ちなみにモンジューの血統を受け継いだ競走馬(現在は引退し、種牡馬となっている)は、大逃げで名を知らしめたパンサラッサという競走馬がいます。 文章参考サイト:JRA公式サイト A2-2:2012年と2013年に凱旋門賞に挑戦し、フォワ賞(G2)を二連覇し、凱旋門賞では二年連続2着になったオルフェーヴル(Orfevre) とにかく個性や気性が魅力であった競走馬で、海外遠征以外の場面では、メイン騎手である池添謙一騎手をターフに振り落としたり、踏みつけようとしたり、触れようとすると噛みついたりするほど、頭が非常によい競走馬です。海外遠征での騎手はクリストフ・スミヨン騎手です。 中〜長距離が主戦場で、クラシック3冠(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)を果たしていますが、気性難が欠点となり4歳時のレースでは、波に乗れない時期が続いていても、有馬記念を2011年と2013年(2013年が引退レース)に勝利しており、引退レースであった有馬記念では、気の知れた池添謙一騎手を乗せて出走し、後続から8馬身差をつけて堂々と勝利をおさめ、競走馬人生に幕を閉じました。 現在は北海道安平町にある「社台スタリオンステーション」にて、種牡馬生活を送っている。兄弟にドリームジャーニーがおり、こちらも強いです。産駒では「ラッキーライラック」や「ウシュバテソーロ」がいます。 文章参考サイト:JRA公式サイト/JRA-VAN公式サイト A2-3:最強のマイラーと呼ばれたタイキシャトル(Taiki Shuttle) 3歳以上の牡馬・牝馬が出走できるレースである、フランスの「ムーラン・ド・ロンシャン賞」と並ぶフランス・マイル路線の最高峰レース(G1)である、「ジャック・ル・マロワ賞」にて他の出走馬を半馬身以上差つけて1着になり、その名前を世界に響かせました。 遠征から帰ってきたタイキシャトルは脚へのダメージも少なく、その後の「マイルチャンピオンシップ」と「スプリンターズステークス」を二年連続連覇し、最強のマイラーと呼ばれるようになるのでした。2001年にJRA顕彰馬に選ばれるのですが、マイル路線で活躍した競走馬が選出されるのは、史上初のことでした。 アメリカ生まれ。2022年8月17日没。享年28歳。 筆者は見学で何回か出会っていたので、訃報を聞いて泣きました。 当時は各競馬場に記帳台が設けられ、生前の偉業を讃えてました。 文章参考サイト:JRA公式サイト / JRA-VAN公式サイト / 優駿「世界を制した最強マイラータイキシャトルのスケール」 A2-4:芝もダートも快速で駆け抜けたアグネスワールド(Agnes World) 1999年のアベイ・ド・ロンシャン賞(フランス・芝・1000m)と、2000年のジュライC(イギリス・芝・6ハロン[約1207m])を制覇した、海外のスプリント戦線で初めて記録を残した競走馬です。 実は日本ではG1に勝利したことがなく、G2とG3のみ勝ち星をつけていたのですが、海外に遠征してから才能が開花し、注目を集めるようになりました。芝に強く、ダートにも強い、今でいう二刀流で走り抜けたのでした。アメリカ生まれ。2012年8月20日没。17歳。 文章参考サイト:JRA-VAN公式サイト A2-5:不屈の魂は国を超えて。ステイゴールド(Stay Gold) 何度もGIの舞台に立つも、毎回2着、3着に終わっていたステイゴールドでしたが、ようやく重賞のメダルをとることができたのは、6歳にとったG2の目黒記念でした。それ以降は不調にあえいでいましたが、7歳になった2001年。G2の日経新春杯に勝利した勢いで、陣営はドバイへ遠征を決意。2001年3月24日に、ドバイ・シーマクラシック(芝・2410m・G2)に勝利することが出来たのです。 引退レースとなった2001年12月16日に香港で開催された、香港ヴァーズ(芝・2400m・G1)に持ち前の見事な差し脚で勝利をつかみ取りました。UAE(ドバイ)と香港のレースが、ステイゴールドにとって唯一のG1勝利となりました。2015年2月5日没。21歳。 産駒(子ども)には、ゴールドシップ・ナカヤマフェスタ・オジュウチョウサン・フェノーメノ・オルフェーヴル・ドリームジャーニーなど、主に性格に難がある競走馬を輩出していました。 文章参考サイト:JRA-VAN公式サイト あまりにも熱量込めて書いていたところ、膨大な記事量になってしまったため、分割して記事を上げていきます! お付き合い下さると嬉しいです!! 続きは「意外と多いです! 海外で活躍した競走馬 Part2」に進みます。TO BE Continued…. 前編その2はこちらをクリックしてみてね★ ゆっくりしていってね!!!