日本語でしかわからない?和歌の音韻とリズムの美しさ第12弾

日本語でしかわからない?和歌の音韻とリズムの美しさ第12弾

百人一首 第五十六首から第六十首の魅力

百人一首 第五十六首から第六十首の魅力

百人一首の第五十六首から第六十首は、恋愛や自然、別離の情感を描いた名歌が揃っています。それぞれの歌について、ローマ字表記、意味、背景、そして翻訳では伝わらない魅力を解説します。また、作者の名前とその特徴も紹介します。

 第五十六首:和泉式部(いずみしきぶ)

和歌:
 あらざらむ この世のほかの  思ひ出に  今ひとたびの 逢ふこともがな
ローマ字表記:
Arazaran Kono yo no hoka no Omoide ni Ima hitotabi no Au koto mogana

第五十六首:和泉式部(いずみしきぶ)
※画像はイメージです
  • 意味: この世で長くは生きられないとしても、死後に持っていける思い出として、もう一度だけあなたに会いたい。
  • 背景: 和泉式部は『和泉式部日記』の作者であり、情熱的で奔放な恋愛歌を多く残しています。この歌は、死を意識しつつも愛する人との再会を願う切実な思いを詠んだものです。
  • 翻訳では伝わらない良さ: 「あらざらむ」という表現は、死を暗示しつつも婉曲的で、日本語の詩的な響きを含んでいます。この微妙な言い回しは、翻訳では再現が難しい部分です。

 第五十七首:紫式部(むらさきしきぶ)

和歌:
めぐり逢ひて 見しやそれとも   わかぬ間に   雲がくれにし   夜半の月かな
ローマ字表記:
Meguriaite Mishi ya sore tomo Wakanu ma ni Kumo gakure nishi Yo wa no tsuki kana

第五十七首:紫式部(むらさきしきぶ)
※画像はイメージです
  • 意味: 久しぶりに巡り会えたと思ったのもつかの間、それが本当にあなたなのかもわからないうちに、夜半の月が雲に隠れるように別れてしまいました。
  • 背景: 紫式部は『源氏物語』の作者で、この歌は一瞬の再会とその後の別離を詠んでいます。月の移ろいにたとえることで、儚さと無常が際立っています。
  • 翻訳では伝わらない良さ: 「雲がくれにし」という表現が、具体的な情景と感情を同時に伝えます。この感覚は日本語特有のもので、翻訳ではその微細なニュアンスを完全に表現するのが難しいです。

 第五十八首:大弐三位(だいにのさんみ)

和歌:
 ありま山   ゐなの笹原   風吹けば  いでそよ人を  忘れやはする
ローマ字表記:
Arima yama Ina no sasahara Kaze fukeba Ide soyo hito o Wasure yaha suru

第五十八首:大弐三位(だいにのさんみ)
※画像はイメージです
  • 意味: ありま山の猪が住む笹原に風が吹くと音がするように、私はあなたを忘れることなどありません。
  • 背景: 大弐三位は紫式部の娘で、この歌では自然の音を人を想う心に重ね合わせています。風の音が耳に響くたびに、愛する人を想う切ない感情が伝わります。
  • 翻訳では伝わらない良さ: 「いでそよ」という古語の響きや、笹原に吹く風の音という自然描写が、日本的な詩情を強く感じさせます。これらの微妙な美しさは翻訳では捉えにくいものです。

 第五十九首:赤染衛門(あかぞめえもん)

和歌:
 やすらはで 寝なましものを   さ夜ふけて  かたぶくまでの  月を見しかな
ローマ字表記:
Yasurawade Nenamashi mono o Sa yofukete Katabuku made no Tsuki o mishi kana

第五十九首:赤染衛門(あかぞめえもん)
※画像はイメージです
  • 意味: あなたを待つことなく眠ってしまえばよかったのに、夜更けになり、西に傾く月を眺めてしまいました。
  • 背景: 赤染衛門は平安時代の女性歌人で、『栄華物語』の作者とされる人物です。この歌では、恋人を待ちながら眠れずに過ごす夜の孤独を詠んでいます。
  • 翻訳では伝わらない良さ: 「かたぶくまでの月」という時間経過の描写が、切ない感情を一層引き立てています。この時間の流れと感情の重なりは、日本語ならではの表現力です。

 第六十首:小式部内侍(こしきぶのないし)

和歌:
 大江山  いく野の道の   遠ければ  まだふみも見ず   天の橋立
ローマ字表記:
Oe yama Ikuno no michi no Tookereba Mada fumi mo mizu Ama no hashidate

第六十首:小式部内侍(こしきぶのないし)
※画像はイメージです
  • 意味: 大江山を越えて行く生野の道が遠いので、まだ天の橋立の美しい景色を見ることもできずにいます。
  • 背景: 小式部内侍は和泉式部の娘で、この歌は自分の母親を見習いたいという意志を込めて詠まれたものです。天の橋立という地名が、具体的な情景を印象付けています。
  • 翻訳では伝わらない良さ: 「まだふみも見ず」という表現が、地理的な距離だけでなく心の距離感も含んでいます。この多層的な意味は翻訳では完全には伝わりません。

まとめ

まとめ
※画像はイメージです

第五十六首から第六十首には、それぞれの歌人が抱いた個別の感情や自然の情景が繊細に描かれています。これらの和歌は日本語独特のリズムや言葉遊び、象徴的な表現が詰まっており、翻訳ではその美しさを完全には味わうことができません。原文に触れることで、和歌が持つ深い魅力と日本文化の奥深さを感じられることでしょう。

最後に

最後に

自分の内にある想い、感じるものを人に伝える、それはある種芸術の本質だとも思います。その中でも特に、繊細さや切なさ、微に入り細を穿つ和歌の表現は見事といっていいほどだと思います。それらを完全に理解することは日本人でも難しい反面、国や時代を超えて共通している部分も多々あると思います。難しさに物怖じせず、同じ人間が作ったものだと思って気軽に作品に触れてほしいと思います。

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