日本語でしかわからない?和歌の音韻とリズムの美しさ第4弾

日本語でしかわからない?和歌の音韻とリズムの美しさ第4弾

百人一首 第十六首から第二十首の魅力

百人一首 第十六首から第二十首の魅力

和歌は、短い言葉の中に深い意味や情景を凝縮する日本特有の文学形式です。そのため、翻訳では失われてしまう音の響きや多義的な表現、文化的背景が含まれています。ここでは百人一首の第十六首から第二十首を取り上げ、ローマ字表記、意味、背景、翻訳では伝わらない良さを解説します。それぞれの作者の読みも記載しています。

 第十六首:中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)

和歌:
 立ち別れ   いなばの山の  峰に生ふる  まつとし聞かば  今帰り来む

ローマ字表記:
Tachi wakare Inaba no yamano Mine ni ouru Matsu to shi kikaba Imakaerikon

意味: 離れ離れになっても、因幡の山の峰に生えている松のように、待つと聞いたなら、すぐに帰ってきます。

第十六首:中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)

背景: 中納言行平は平安時代の公家であり、この歌は別れの情景を詠んだものです。松(待つ)を掛詞に用いて、別れの悲しみと再会の約束を巧みに表現しています。

翻訳では伝わらない良さ: 「松」と「待つ」の掛詞は、英語などに訳すと失われてしまう日本語特有の言葉遊びの妙が詰まっています。

 第十七首:在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

和歌:
 ちはやぶる  神代も聞かず    竜田川   からくれなゐに   水くくるとは

ローマ字表記:
Chihayaburu Kamiyo mo kikazu Tatsutagawa Karakurenai ni Mizu kukuru to wa

意味: 神代の昔でも聞いたことがない。竜田川の水が真紅に染まり、紅葉の色をくくり込んでいるとは。

第十七首:在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

背景: 在原業平は平安時代の歌人で、美しい自然と感動を詠む名手として知られています。この歌は、紅葉が川面を染める美しい光景を描いています。

翻訳では伝わらない良さ: 「ちはやぶる」という枕詞の持つ響きと神秘性、紅葉と水が織りなす視覚的な美しさが、日本語だからこそ伝わるものです。

 第十八首:藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)

和歌:
 住の江の   岸による波   よるさへや  夢の通ひ路   人目よくらむ

ローマ字表記:
Suminoe no Kishi ni yoru nami Yoru sahe ya Yume no kayoiji Hitome yokuran

意味: 住の江の岸に寄せる波のように、夜ですら夢の通い道を人目が避けるのでしょうか。

第十八首:藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)

背景: 藤原敏行は平安時代の歌人で、繊細な感情表現を得意としていました。この歌は恋人への想いを夢の中でさえ阻まれる切なさを詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ: 「よる」(寄る/夜)を掛詞として使用し、日本語の音の響きと多義性が感情をより深く伝えています。

 第十九首:伊勢(いせ)

和歌:
 難波潟   みじかき芦の  ふしの間も  あはでこの世を   過ぐしてよとや

ローマ字表記:
Naniwagata Mijikaki ashino Fushi no ma mo Awade kono yo o Sugushite yo to ya

意味: 難波潟の短い葦の節と節の間のような短い時間でも、逢わずにこの世を過ごせというのでしょうか。

 第十九首:伊勢(いせ)

背景: 伊勢は平安時代を代表する女性歌人で、この歌は恋の切なさを短い葦に例えて詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ: 「芦のふしの間」を時間の短さに例える比喩が、日本語独特の感覚を映し出しています。

 第二十首:元良親王(もとよししんのう)

和歌:
 わびぬれば  今はた同じ  難波なる   身を尽くしても  逢はむとぞ思ふ

ローマ字表記:
Wabinureba Ima wa ta onaji Naniwa naru Mi o tsukushitemo Awanto zo omou

意味: わびしい気持ちになった今では、もうどうなっても同じだ。たとえ身を尽くしてでも、あなたに逢いたいと思う。

第二十首:元良親王(もとよししんのう)

背景: 元良親王は平安時代の皇族で、この歌は恋に身を投じる覚悟を詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ: 「身を尽くしても」の表現が、日本語ならではの感情の高まりをダイレクトに伝えています。また、全体のリズムが情熱を一層引き立てています。

まとめ

まとめ

和歌はその短さゆえ、言葉選びや表現が非常に凝縮されています。その中で、日本語特有の音韻や掛詞、季節感、文化的背景が重要な役割を果たしています。これらは翻訳ではどうしても失われやすく、原文で読むことで初めて感じ取れるものが多いです。和歌を通じて日本語の美しさと豊かさを堪能し、文化の奥深さに触れることができるでしょう。

最後に

最後に

知識として知るというだけではなく、口付さみ、楽しんで貰えれば嬉しく思います。また周りの人達にこの話をして、お互いの考えや、日本語、みてくださっている方が使っている言語、それぞれの違いや良さについて話題にしてもらえれば幸いです。

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