
『古今和歌集』巻二「春下」の第91首から第100首は、日本の春の美しさと儚さを詠んだ和歌が収録されています。これらの歌は、自然の移ろいを巧みに描き、平安時代の人々の感性や価値観を現代に伝えています。この範囲では、霞や花、春風といった春の象徴が頻繁に登場し、それぞれの歌が独自の視点で春の情景を表現しています。翻訳では表現しきれない和歌の美しさは、言葉の音やリズム、掛詞(かけことば)や縁語(えんご)の妙技にあります。それでは、それぞれの和歌について詳しく見ていきましょう。
第91首 作者: 遍昭(へんじょう)
和歌:
花の色は かすみにこめて 見せずとも かをだにぬすめ 春の山かぜ
ローマ字読み:
Hana no iro wa kasumi ni komete misezu tomo ka o da ni nusume haru no yamakaze

意味:花の色が霞に隠れて見えなくても、その香りを盗むことだけはできる。春の山風よ。
背景と良さ:山風を擬人化し、霞に隠された花の香りを盗む様子が描かれています。”花の色”と”香り”という視覚と嗅覚の対比が美しく、日本語特有の簡潔な表現で情景が鮮明に浮かびます。
第92首 作者: 素性法師(そせいほうし)
和歌:
はなの木も 今はほりうゑじ 春たてば うつろふ色に 人ならひけり
ローマ字読み:
Hana no ki mo ima wa hori ueji haru tateba utsurou iro ni hito narai keri

意味:桜の木も、今は掘り植ることはしない。春が来るとその色が変わるように、人もまた変わっていくものだ。
背景と良さ:桜の成長と人の移ろいを重ねることで、無常観を表現しています。”春たてば”という季節感が、日本語の持つリズムと相まって詩情を高めます。
第93首 作者: 読人知らず(よみびとしらず)
和歌:
春の色の いたりいたらぬ さとはあらじ さけるさかざる 花の見ゆらむ
ローマ字読み:
Haru no iro no itari itaranu sato wa araji sakeru sakazaru hana no miyuramu

意味:春の色が行き届く里もあれば、そうでない里もあるだろう。咲く花や咲かない花を見るように。
背景と良さ:春の美しさが偏在する様子を詠んでいます。”いたり”と”いたらぬ”の対比が、歌全体のリズムに変化を与え、和歌独自の繊細さを強調します。
第94首 作者: 貫之(つらゆき)
和歌:
みわ山を しかもかくすか 春霞 人にしられぬ 花やさくらむ
ローマ字読み:
Miwayama o shika mo kakusu ka harugasumi hito ni shirarenu hana ya sakuramu

意味:三輪山をどうして春霞が隠してしまうのだろう。その中に人知れず咲く花があるのだろうか。
背景と良さ:春霞が山を覆う様子を描写し、その奥に隠れる花を想像させます。”かくす”や”しられぬ”といった言葉がもたらす余韻が、日本語ならではの奥ゆかしさを感じさせます。
第95首 作者: 素性(そせい)
和歌:
いざけふは 春の山辺に まじりなむ くれなばなげの 花のかげかは
ローマ字読み:
Izakefu wa haru no yamabe ni majirinamu kurenabanage no hana no kagekawa

意味:さて今日は、春の山のほとりに集まってみよう。もし日が暮れてしまったなら、何の花が咲いているのだろう。
背景と良さ:春の山の美しさを直感的に伝えています。リズミカルな言葉選びと、視覚的な美が日本語特有の感性を表現しています。
第96首 作者: 素性(そせい)
和歌:
いつまでか 野辺に心の あくがれむ 花しちらずは 千世もへぬべし
ローマ字読み:
Itsu made ka nobe ni kokoro no aku garem hana shichirazu wa chiyo mo henubeshi

意味:いつまで野辺の美しさに心を奪われ続けるのだろうか。花が散りゆくことは、永遠の繰り返しである。
背景と良さ:花の散りゆく様子に永遠の無常観を見出す歌で、リズムの美しさが和歌特有の情緒を増しています。
第97首 作者: 読人知らず(よみびとしらず)
和歌:
春ごとに 花のさかりは ありなめど あひ見む事は いのちなりけり
ローマ字読み:
Haru goto ni hana no sakari wa ariname do ai mimu koto wa inochi narikeri

意味:春になると花の盛りは必ずやってくるが、それを見ることは私の命あってのものだ。
背景と良さ:命と花の儚さを同列に扱い、自然の摂理と人間の感情を巧みに重ね合わせています。”命なりけり”という結びが特に感慨深いです。
第98首 作者: 読人知らず(よみびとしらず)
和歌:
花のごと 世のつねならば すぐしてし 昔は又も かへりきなまし
ローマ字読み:
Hana no goto yo no tsune naraba sugushiteshi mukashi wa mata mo kaerikinamashi

意味:花のことは世の常で、短命であることを知っていても、昔の花が再び戻ってくることを願ってしまう。
背景と良さ:花の短命さに対する切なさが、過去への思いと共に表現されています。”すくしてし”の音の響きが和歌のリズムに奥行きを加えています。
第99首 作者: 読人知らず(よみびとしらず)
和歌:
吹く風に あつらへつくる 物ならば このひともとは よぎよといはまし
ローマ字読み:
Fuku kaze ni atsurae tsukuru mono naraba kono hi to moto wa yogiyo to ihamashi

意味:もし吹く風が自在に作り出せるものならば、この一本だけは避けて吹けと、言おうものを。
背景と良さ:自然の風が運ぶ春の美しさを表現しつつ、人間の願望や切なる思いを重ねています。”吹く風”を擬人化した表現と、過ぎゆく時への哀惜が和歌独特の趣を醸し出しています。
第100首 作者: 読人知らず(よみびとしらず)
和歌:
まつ人も こぬものゆゑに うぐひすの なきつる花を をりてけるかな
ローマ字読み:
Matsu hito mo konu mono yue ni uguisu no nakitsuru hana o oritekeru kana

意味:待っていた人も来ないので、鶯が鳴いていたその花を折ってしまったことよ。
背景と良さ:待ち人の来なかった寂しさを、鶯と花に象徴させて詠んでいます。”待つ人”と”鶯”、”花”という組み合わせが日本語ならではの叙情を深め、失望と孤独感を繊細に表現しています。
まとめ

『古今和歌集』巻二の春下に収録された91首から100首は、それぞれが独自の視点で春の情景や感情を描き出しています。言葉の響きや掛詞の妙、自然の美しさを感じ取る感性は、翻訳では伝わりきれない日本語の奥深さを象徴しています。これらの歌を味わうことで、日本の伝統的な詩歌文化の豊かさをより深く理解することができます。
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