日本語でしかわからない?和歌の音韻とリズムの美しさ第15弾

日本語でしかわからない?和歌の音韻とリズムの美しさ第15弾

百人一首 第七十一から七十五首の解説

百人一首 第七十一から七十五首の解説

Abajo、百人一首の第71首から75首までについて作者名よみがな和歌ローマ字読み意味背景翻訳では伝わらない良さを解説します

 第71首 作者名 大納言経信(だいなごんつねのぶ)

和歌
夕されば   門田の稲葉  おとづれて  葦のまろ屋に  秋風ぞ吹く
ローマ字読み
Yū sareba kadota no inaba otozurete ashi no maroya ni akikaze zo fuku

第71首 作者名: 大納言経信(だいなごんつねのぶ)


意味
夕暮れになると門田の稲葉が風に揺れる音が聞こえ葦の茂る仮小屋に秋風が吹き始める
背景
自然描写の中で秋の訪れを繊細に描いた一首で田園風景と秋風が生み出す侘び寂びの情緒が見事です
翻訳では伝わらない良さ
「門田の稲葉」「葦のまろ屋」といった具体的な描写が日本の田園風景を鮮やかに思い起こさせます風音の描写に独特の響きがあり翻訳ではこの情景のリアルさを完全に再現することは難しいです

 第72首 作者名 祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)

和歌
 音に聞く   高師の浜の    あだ波は   かけじや袖の  濡れもこそすれ
ローマ字読み
Oto ni kiku Takashi no hama no ada nami wa kakeji ya sode no nure mo koso sure

第72首 作者名: 祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)


意味
噂に聞く高師の浜の激しい波のように軽々しく愛に手を出したりはしませんそれで袖が濡れることがあったら困るから
背景
この歌は恋愛の慎重さを詠んだもので「袖が濡れる」という表現は恋に涙する暗喩です
翻訳では伝わらない良さ
「音に聞く」「袖の濡れもこそすれ」といった表現には日本語特有の比喩的な意味合いが込められていますこれを翻訳する際には同様のニュアンスを正確に伝えるのが難しいです

 第73首 作者名 権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ)

和歌
 高砂の    尾上の桜   咲きにけり   外山の霞   立たずもあらなむ
ローマ字読み
Takasago no onoe no sakura saki ni keri toyama no kasumi tatazu mo aranamu

第73首 作者名: 権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ)


意味
高砂の尾上の桜が咲いたようだ外山の霞よどうか立たないでほしいものだ
背景
桜が咲く春の情景を詠んだ一首で霞が桜を隠してしまうのを惜しむ気持ちが込められています
翻訳では伝わらない良さ
「外山の霞」という表現が日本の春の儚さや美しさを象徴していますこの言葉が持つ感覚的な奥行きは翻訳では十分に再現できません

 第74首 作者名源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)

和歌
うかりける  人を初瀬の   山おろし   激しかれとは   祈らぬものを
ローマ字読み
Ukari-keru hito o hatsuse no yama oroshi hageshikare to wa inoranu mono o

第74首 作者名: 源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)


意味
冷たかったあの人の心が初瀬山の山おろしの風のように激しくなるようにと祈ったわけではないのに
背景
恋のつらさを初瀬山の激しい風に例えた歌で俊頼の繊細な心情が読み取れます
翻訳では伝わらない良さ
「初瀬の山おろし」という固有の自然描写とそれを恋に重ねる繊細な比喩は日本語の持つ文化的背景があってこそ伝わるものです

 第75首 作者名 藤原基俊(ふじわらのもととし)

和歌
契りおきし   させもが露を   命にて   あはれ今年の   秋もいぬめり
ローマ字読み
Chigiri-okishi sasemo ga tsuyu o inochi ni te aware kotoshi no aki mo inu meri

第75首 作者名: 藤原基俊(ふじわらのもととし)


意味
固く約束した「させも草の露」のように儚い命ああ今年の秋も過ぎ去ってしまったようだ
背景
「させも草の露」という表現は短い命や儚さを象徴しています秋の終わりと人生の無常が重ねられています
翻訳では伝わらない良さ
「させもが露」という日本語特有の比喩が持つ儚さや美しさを他の言語で完全に表現するのは難しいです

resumen

resumen

これらの和歌はそれぞれが日本語の多義性と響きを駆使して感情や自然の美しさを描いています翻訳では情景や意味を伝えることはできても日本語独自の音のリズムや文化的背景を完全に再現することは難しいです和歌の魅力は言葉の音韻意味そして背景が一体となったところにあり日本語でしか味わえない深い情緒を堪能できます

por último

por último

Esta vez、日本語の良さをわかってもらうためまた和歌というものを楽しんでもらうために記事を書いていますが当然他の国にもその国の言語特有の魅力があり良さがよく現れている何かがあると思いますこうやって記事にするのもいいですし友人たちと改めて自国の言語の魅力を語り合ってみるのも面白いかもしれません

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