古今和歌集 巻二:春下 81~90首の良さと解説

古今和歌集は、日本の古典文学を代表する歌集の一つであり、平安時代の詩歌文化の精髄を体現しています。巻二「春下」の第81首から第90首にかけての和歌は、春の終わりをテーマに、自然や心情を繊細に詠み込んでいます。これらの和歌には、日本語独特の言葉遊びや情景描写が凝縮されており、翻訳では伝わりにくい美しさが存在します。
以下に、各和歌を作者名、読み方、ローマ字読み、意味、背景、翻訳では伝わらない良さを順に記載します。
第81首 作者名: 菅野高世(すがののたかよ)
和歌:
枝よりも あたにちりにし 花なれは おちても水の あわとこそなれ
ローマ字読み:
Eda yori mo ata ni chirinishi hana nareba ochite mo mizu no awa to koso nare

意味: 枝から離れて散った花だからこそ、水面に落ちても泡のように美しく儚い存在である。
背景: 散る桜の儚さを泡に例えることで、美しさと一瞬の儚さを巧みに表現しています。
翻訳では伝わらない良さ: 「あわ」という言葉の音の響きが、儚さと静けさを同時に伝えています。
第82首 作者名: 紀貫之(きのつらゆき)
和歌:
ことならは さかすやはあらぬ さくら花 見る我さへに しつ心なし
ローマ字読み:
Koto naraba sakasu ya wa aranu sakurabana miru ware sae ni shitsu kokoro nashi

意味: 桜の花よ、どうせ散るのならばなぜ咲かずにはいられないのだ。見ている私の心まで落ち着かない。
背景: 桜が散る様子を通じて、人生の不安定さや無常観を詠んでいます。
翻訳では伝わらない良さ: 「心なし」という言葉には、心の動揺だけでなく、桜の美しさに魅了された心の状態も暗示されています。
第83首 作者名: 紀貫之(きのつらゆき)
和歌:
さくら花 とくちりぬとも おもほえす 人の心そ 風も吹きあへぬ
ローマ字読み:
Sakura bana toku chirinu tomo omohoezu hito no kokoro zo kaze mo fuki aenu

意味: 桜の花が早く散ってしまっても、それ以上に移ろいやすいのは人の心であり、風さえその変わりように追いつけない。
背景: 花の儚さと人の心の移ろいを対比させることで、人生の無常を表現しています。
翻訳では伝わらない良さ: 「風も吹きあへぬ」という表現には、自然と人間のつながりを詠み込む繊細さがあります。
第84首 作者名: 紀友則(きのとものり)
和歌:
久方の ひかりのとけき 春の日に しつ心なく 花のちるらむ
ローマ字読み:
Hisakata no hikari no tokeki haru no hi ni shitsu kokoro naku hana no chiru ramu

意味: 柔らかな春の日差しの中で、桜の花が心を持たずに散っていくのだろうか。
背景: 桜の花の散る様子を、視覚的に華やかに歌いつつも、どこか哀愁を感じさせる文体で表現しています。
翻訳では伝わらない良さ: 「しつ心なく」という言葉に、無情でありながら美しい自然の姿が込められています。
第85首 作者名: 藤原好風(ふじわらのよしかせ)
和歌:
春風は 花のあたりを よきてふけ 心つからや うつろふと見む
ローマ字読み:
Harukaze wa hana no atari o yokite fuke kokoro tsukara ya utsurofu to mimu

意味: 春風は花を咲けて吹いてもらいたい。桜の花が自ら散っていくのかを確かめたいから。
背景: 桜の花が春風で散っていく様を見て、ならば風さえなければ何時までも咲くものだろうかと、趣向をめぐらせて詠んでいる様子が見て取れます。
翻訳では伝わらない良さ: 「心つからや」の響きに、風と花が交わる一瞬の美しさが詠まれています。
第86首 作者名: 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
和歌:
雪とのみ ふるたにあるを さくら花 いかにちれとか 風の吹くらむ
ローマ字読み:
Yuki to nomi furu tani aru o sakurabana ika ni chire to ka kaze no fukuramu

意味: 桜の花が風もなく雪のように散るさまでも惜しいというのに、風は一体どのようにして花を散らすのだろうか。
背景: 風がなくても散っていく桜の様子を惜しみつつも、その瞬間の美しさを詠んでいます。
翻訳では伝わらない良さ: 「いかにちれとか」という表現には、風の意志が擬人化されており、日本語独自の自然観が表れています。
第87首 作者名: 紀貫之(きのつらゆき)
和歌:
山たかみ みつつわかこし さくら花 風は心に まかすへらなり
ローマ字読み:
Yama takami mitsutsu wa kakoshi sakurabana kaze wa kokoro ni makasu be ranari

意味: 高い山に生えているせいで手折れなかった桜の花を、風はいとも容易くその花を散らしていくようだ。
背景: 自身は見ることしか出来ない遠くの桜を、それを意のままにする風に対する嫉妬が読み取れます。
翻訳では伝わらない良さ: 「まかすへらなり」という独特な表現が、風と人の心の一体感を感じさせます。
第88首 作者名: 黒主(くろぬし)
和歌:
春雨の ふるは涙か さくら花 ちるををしまぬ 人しなけれは
ローマ字読み:
Harusame no furu wa namida ka sakurabana chiru o oshimanu hito shi nakereba

意味: 春雨が降るのは涙なのだろうか。桜の花が散るのを惜しまない人はいないのだから。
背景: 雨と涙を重ね合わせ、桜が散る儚さを詠んでいます。
翻訳では伝わらない良さ: 「ふるはなみたか」という音の響きが、しとしと降る雨と静かな悲しみを暗示しています。
第89首 作者名: 紀貫之(きのつらゆき)
和歌:
さくら花 ちりぬる風の なこりには 水なきそらに 浪そたちける
ローマ字読み:
Sakura bana chirinuru kaze no nakori ni wa mizu naki sora ni nami so tachikeru

意味: 桜の花を散らした風の名残は、水のない空に波を立てるようなものであった。
背景: 桜が散る風景とその余韻を描写し、自然と感情を重ね合わせています。
翻訳では伝わらない良さ: 「水なきそらに浪そたちける」という詩的な矛盾が、桜の儚さをさらに強調しています。
第90首 作者名: 平城天皇(へいぜいてんのう)
和歌:
ふるさとと なりにしならの みやこにも 色はかはらす 花はさきけり
ローマ字読み:
Furusato to narinishi Nara no miyako ni mo iro wa kawarazu hana wa sakikeri

意味: すっかり寂れてしまった奈良の都にも、変わらない色で桜の花が咲いている。
背景:平安京に移り住んだ後も、故郷である奈良の平城京への思いを詠ったもので、寂れてしまった奈良の哀愁漂う様子が感じ取れます 。
翻訳では伝わらない良さ: 「いろはかはらず」という表現に、日本の風景が持つ普遍的な美しさが込められています。
सारांश

古今和歌集の第81首から第90首は、春の終わりに感じる儚さや、自然と人間の感情の調和を巧みに表現しています。和歌の中で使われる言葉の響きや構成は、日本語でなければ味わえない微妙な美しさを持っています。これらの和歌を通じて、日本人が持つ自然観や美意識を改めて感じることができるでしょう。
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