◇意外と多いです! 海外競馬で活躍した競走馬 前編その2◇

◇意外と多いです! 海外競馬で活躍した競走馬 前編その2◇
※画像はイメージです

長くなってしまったため、分割しました!

日本の競馬も強くなってきているよという内容を力説していたら、長くなってしまったため、泣く泣く分割しました。その1はこちらをクリックしてみてね★

 こんにちは。音咲ひとりと申します。
 今回は海外で大きなレースにて活躍した競走馬の続編を紹介したいと思います。
 今回は競走馬の紹介・前編その2を紹介していきます。

今回はA2-6からA2-10までを紹介します!
ゆっくりしていってね!!!

A2-6:3歳の牝馬が偉業を成し遂げたシーザリオ(Cesario)

A2-6:3歳の牝馬が偉業を成し遂げたシーザリオ(Cesario)
参考画像:JRA-VAN World

 桜花賞の前哨戦と言われるG3のフラワーCを勝利したシーザリオでしたが、次走の桜花賞
(G1)では、4戦3勝のラインクラフト・牝馬限定のエルフィンSを勝利しているエアメサイ
アが待ち受けており、ここで初めて2着になり(一着はラインクラフト)初めて敗戦をして
しまいます。陣営もすぐ頭を切り替えて挑んだオークス(優駿牝馬)では、コースの直線に
入った途端に、持ち前の末脚を繰り出していき、上がり3ハロン33秒3を打ち出して勝利する
ことができました!
 次に目指したのはアメリカだったが、経験の浅い牝馬の競走馬と、海外の芝コースは初の福永祐一騎手は、不安を感じていた。
 本番、不利な大外枠に当たってしまったが、世界の猛者が相手でもシーザリオは果敢に攻
めていき、福永も先輩騎手である横山典弘騎手に「どの競馬場でも2000Mは2000M」という言
葉を胸にして、シーザリオとともに走ったのでした。ゴール前になると後ろとの差は4馬身
になっており、日本馬によるアメリカG1初制覇・父内国産馬による初めての海外国際G1制覇
を達成したのでした。
 繁殖牝馬になってからは、エピファネイアリオンディーズサートゥルナーリアという重賞制覇牡馬を輩出。2021年2月27日没。19歳でした。

A2-7:目立つ活躍は少ないが産駒(子ども)が強すぎるハーツクライ(Heat’s Cry)

A2-7:目立つ活躍は少ないが産駒(子ども)が強すぎるハーツクライ(Heat's Cry)
参考画像:JRA-VAN World

 当初は自慢の末脚を武器に重賞を勝ち進んできたハーツクライですが、次第に伸び悩んで
いき、成績も振るわなくなっていきました。陣営は展開さえ合えば、彼の持ち味である末脚
をいかせるのにと思い悩んでいたところに、「先行策はどうですか?」と提案をしたのは、
今やトップジョッキーとなった、クリストフ・ルメール騎手であった。
 二度目の挑戦となったジャパンカップでは、惜しくも2着となったが、2分22秒1という驚
異的なコースレコードを叩き出し、2005年の有馬記念では無敗の3冠馬となったディープイ
ンパクトと対決。叩き合いの末2分の1馬身突き放し、初G1勝利を飾ることが出来た。
 翌年5歳初戦に選んだのは、ドバイシーマクラシック挑戦への挑戦。鞍上は2005年の天皇
賞・秋からコンビを組んでいる、クリストフ・ルメール騎手。ハナを切る先行策でスタート
を切り、コース終盤には持ち前の末脚が炸裂し、2着とは4馬身差で優勝しました! 引退後
は社台スタリオンステーションにて種牡馬生活を送ることになりました。
 彼の子どもたちは今現在も、色々な重賞レースで活躍しています。例えば、2022年に日本ダービーを当時最強と言われていた、イクイノックスを競り合いで破ってダービー馬になった、ドウデュースがいたり、2012年のジャパンカップで勝利をしたシュヴァルグラン、牝馬初の春秋グランプリ制覇を成し遂げたリスグラシュー、主に地方競馬で活躍し2022年のジャパンダートダービーの覇者であるノットゥルノがいます。ジャスタウェイもハーツクライ産駒で、非常に強いです。
 2023年3月9日没。22歳でした。ちなみに筆者はハーツクライとハーツクライ産駒が大好き
すぎて、長くなってしまいました。推しはドウデュースです!!!

文章参考サイト:JRA公式サイトJRA-VAN公式サイト

A2-8:マイルで活躍をしたハットトリック(Hat Trick)

A2-8:マイルで活躍をしたハットトリック(Hat Trick)
参考画像:JRA-VAN World

 毎年12月に香港で開催される香港国際競争。中でもスプリントやマイルは地元香港馬が優
勝を飾ることが多いですが、完全アウェーの中で香港マイルを制したのが、ハットトリック
です。
 当初は京都金杯、東京新聞杯の重賞を勝っていき、調子よく記録を出していたのですが、
距離を伸ばした途端に能力が発揮しにくい状態になり、その中で唯一勝てたG1はマイルチャ
ンピオンシップのみでした。
 陣営は海外のレースに出ることを決断。鞍上は天皇賞・秋からコンビを組んでいるオリビ
エ・ペリエ騎手。同年の12月に開催された香港マイルに出走すると、大外から見事な差し切りを見せて勝利をおさめました。
 ハットトリックが勝利した、マイルチャンピオンシップと香港マイルのG1勝利は、馬主で
ある「キャロットファーム」に重賞制覇をもたらしました。
 現役引退後は、シャトル種牡馬(北半球と南半球の季節のズレを利用し、種付けを2期お
こなう種牡馬のこと)として活動しており、アメリカではハットトリックの子どもの血統
が、今も受け継がれて活躍しています。2020年8月3日没。19歳でした。

文章参考サイト:JRA-VAN公式サイト

A2-9:日本調教馬で初めてオーストラリアの最優秀長距離馬になったデルタブルース(Delta Blues)

A2-9:日本調教馬で初めてオーストラリアの最優秀長距離馬になったデルタブルース(Delta Blues)
参考画像:JRA-VAN World

 デルタブルースはほとんど目立たない存在で、初勝利は3歳4月にようやく勝利を迎えるこ
とができたほどの遅咲きでした。地方競馬でゆっくりと力をつけていき、先行で走りつつ、
叩き合いになると競り勝つほどの、スタミナと根性を武器にG1である菊花賞に挑むこととな
る。しかしこのレースでは、当時の人気馬であるコスモバルクハーツクライハイアー
ゲーム
に注目されていた。この時のデルタブルースの倍率は単勝オッズ45.1倍。この時はデ
ルタブルースに期待を寄せる人が少なかったともいえます。
しかし走りだすと、早めの仕掛けからでも、スタミナと根性だけを頼りに走るのです!
鞍上の岩田康誠騎手の手綱は中盤から激しく動かしており、デルタブルースもその動きに答
えたのです!
 コスモバルク、オペラシチー、ホオキパウェーブも追い抜いていき、最終的には1馬身4分
の1後方につけてゴール。今やベテランの岩田康誠騎手にとっても、デルタブルースにとっ
ても、初のG1勝利となった。
 2006年11月7日に遠征したオーストラリアで行われる「メルボルンカップ(G1・芝・3200m)
」も、持ち前の長距離での先行力・それに対応できるスタミナと根性を見せつけて、勝利を
おさめました。2024年10月8日没。23歳だった。

文章参考サイト:JRA-VAN公式サイト

A2-10:北海道の競馬場から世界へ飛び出した古馬の雄姿・アドマイヤムーン(Admire Moon)

A2-10:北海道の競馬場から世界へ飛び出した古馬の雄姿・アドマイヤムーン(Admire Moon)
参考画像:JRA-VAN World

 2歳のときは4戦3勝。3歳初戦は共同通信杯で、前年の王者・フサイチリシャールを下し、
皐月賞の前哨戦と言われる弥生賞にも勝ち、勢いは上がっていき、ついに皐月賞出走の日。
アドマイヤムーンは後方から前を狙っていくが、その作戦は裏目にでてしまい、メイショウ
サムソン
に敗れてしまい、4着で終わりました。
 日本ダービーに出走するも、またしてもメイショウサムソンの前に屈し、末脚も発動する
ことなく7着という結果で終わってしまい、ファンの間では「早熟説」まで飛び出してしま
うのでした。
 しかし転機が訪れたのは、初めてG3初重賞勝利を掴んだ札幌競馬場だった。アドマイヤムーンは札幌記念(G2)に出走登録をする。芝・2000m、走れない距離ではない。だがファンの気
持ちは前走の不安が残っていました。しかし結果は堂々の1着。それからはというと掲示板
内に入る走りを見せ、「早熟説」を吹き飛ばしました。その年の年末2006年12月10日に開催
された「香港カップ(G1)」では、2着と大健闘をする。
 4歳を迎え「京都記念」を制覇したアドマイヤムーンは、それを足がかりにドバイデューティーフリー(G1)に出走を決めた。先行を行くライバル・ダイワメジャーを追いかけるように末脚が伸び、見事に優勝にまで昇り詰めるのでした。香港で開催されたクイーンエリザベス2世カップ(G1)では惜しくも3着でしたが、その後の宝塚記念・ジャパンカップ(ともにG1)では1着となりました。
 2007年度の年度代表馬・最優秀4歳以上牡馬である。
 現在は種牡馬を引退し、けい養先である「ダーレージャパン」にて、功労馬となっている。

 当時の記事:2007年の年度代表馬アドマイヤムーンが種牡馬引退 産駒からファインニードルなどG1馬も輩出(net Keiba さんより)

文章参考サイト:JRA-VAN公式サイト

■最後に■


 実は様々な競走馬が海外で活躍された影響で、現地で人気が出て、引退後はシャトル種牡馬になったり、海外で繁殖牝馬として拠点を持つことになった競走馬も中にはいるため、とても長くて申し訳ないですが、こちらを前編にしまして、残り中編8編と後編3編でお送りしたいと思います。

 昔(大体1999年くらいまでは)日本の競走馬は、外国産馬(特にフランスやイギリスやアメリカ)に勝つことは非常に難しい時期がありました。ですが、日本競馬の関係者の努力と探求のおかげで、成績を残せるくらいに成長した競走馬が輩出されて嬉しいと、ファンとして感じます。
これから出てくる競走馬たちは、どのような夢や希望を見せてくれるでしょうか?
楽しみにするとともに、この辺で終わりにしたいと思います。

 少しでも様々な国際レースで活躍した競走馬を知って下さると嬉しいです!
 

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音咲 ひとり
"大の競馬好き!デスク周りはお馬さんがいっぱいで幸せです! 日本の歴史や文化を紐解きながら、その魅力をお伝えするブログを運営しています。 伝統と現代が交わる日本の素晴らしさを、写真やエピソードを交えてご紹介します!"