~長くなり過ぎたので中編・その1~

※画像はイメージです
皆さん、こんにちは。音咲ひとりと申します。
海外の国際レースに参加して、結果を残した競走馬が思っていたより多く存在しており、かなり分割して執筆しないと、余裕で一万字行きそうな勢いだったので、大体5頭ずつ紹介していこうと考えています。
さっそくいってみよー!!! ゆっくりしていってね!!!
◆ 今回は「ロードカナロア」「ヴィクトワールピサ」「ルーラーシップ」「キズナ」「ジャスタウェイ」をご紹介します!
A2-11:世界から認められた短距離の帝王・ロードカナロア(Lord Kanaloa)
スプリント(短距離)のレースでは負ける事を知らないと言って過言でないほど、その才能を開花させ、日本のレースだけではなく海外のレースも制覇していきました。デビュー二戦目のジュニアC 1600m(マイル)では惜しくも2着と終わってしまいましたが、陣営はすぐにスプリントへ専念させたところ、3歳のときに初めての重賞レースである京阪杯を快勝してしまいました。明けて4歳のシルクロードSまで5連勝していき、初めてのG1である「高松宮記念」に出走。ファンの期待を一身に背負うことになりました。しかし勝利はロードカナロアではなく、同じ厩舎のカレンチャンになりました。生涯唯一の3着となり、その後の函館スプリントSは2着、セントウルSに至っては再度カレンチャンに惜敗し、2着となりました。
不調も見られたロードカナロアだったが、二度目のG1である「スプリンターズステークス」に出走することにします。すると今までの不調を吹き飛ばすように1着になります。
この年の12月に香港で行われる国際レースである「香港スプリント(G1)」にロードカナロアとライバルであるカレンチャンが登録します。
世界屈指のスプリントレースと呼ばれている香港スプリントで、ロードカナロアは1着となり、カレンチャンは3着と、日本競馬のスプリント界を湧かせました!
翌年2013年はG3阪急杯からカナロアの1着に始まり、昨年は順位を下げてしまったG1の高松宮記念を見事に1着で走り、マイル(1600m)戦であるG1「安田記念」を1着で走り切りました。しかし次走のセントウルS(G2)ではハクサンムーンにクビ差で2着に終わってしまいます。間をあけずに挑んだG1「スプリンターズステークス」は、カナロアにとって連覇のかかるレースでした。そしてセントウルSで1着になったハクサンムーンも参戦しています。激闘の末、ロードカナロアはスプリンターズステークスを二連覇することが出来ました!
ロードカナロア陣営は、引退レースを香港のG1「香港スプリント」に目標を定めました。ここで優勝をすれば、スプリント界で初めての海外レース二連覇です。結果は堂々の1着となり、カナロアは香港スプリントまで二連覇を達成してしまったのです! しかも2着の競走馬とは5馬身離しての優勝でした。
2012年には最優秀短距離馬、2013年には最優秀短距離馬と年度代表馬を得ました。短距離馬が年度代表馬に選ばれるのは、史上2頭目です。ワールドベストレースホースランキングでは、スプリント区分では日本馬最高位になるほどの、世界的なスプリンターにまで成長しました。
現在は社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送っており、代表的な産駒としてはG1を9冠達成したアーモンドアイ、父親と同じスプリンターとして活躍し現在は種牡馬になっているダノンスマッシュ、名牝・シーザリオとの子どもであるサートゥルナーリアがいます。
A2-12:ゴールした先にある光を求めて。ヴィクトワールピサ(Victoire Pisa)
日本ダービー馬であるネオユニヴァース産駒である、ヴィクトワールピサ。当初から周囲の期待を背負ってデビューしました。新馬戦(初めてレースに出ること)では、ローズキングダムに競り負け、2着となってしまいましたが、それ以降は順調に勝ち進んでいきます。京都2歳Sでは難なく抜け出し一着。続いてラジオNIKKEI2歳Sでは、コスモファントム・ヒルノダムール・ダノンシャンティという好敵手を相手に、後方からの仕掛けとなってしまったのですが、見事差し切って一着になります。クラシック路線が見える2歳シーズンでしたが、3歳シーズンは苦難の連続となってしまいます。
弥生賞では差し切って勝利を掴み、皐月賞では再び後方からつけていき中団まだ伸び、鋭く伸びる脚を生かして、ヒルノダムール・エイシンフラッシュ・ローズキングダムの入れ替わっていく2着争いを、1馬身半差をつけてクラシック路線一冠目を制します。
ですが続く第77回日本ダービーでは、成長し瞬発力を身に着けたエイシンフラッシュとローズキングダムに追いつけず、3着という結果に。年内に開催される中央競馬の集大成である有馬記念では、好位後方策から驚異の粘りを見せて、ブエナビスタの猛攻をわずかなハナ差で差し切って一着をとり、3歳シーズンを終えるのでした。
2011年4歳シーズン。その潜在能力はどこまで彼を伸ばしていくのか。
中山記念では大外から馬群をぬうようにして、2馬身半差をつけ優勝をする。そこから陣営が次に目を向けたのは海外レース・ドバイワールドカップだった。いつものように後方から攻めていき、そのまま先頭に近づき直線に入ると、さらに加速は続き、前にいたトランセンドを追い越していき、一流の走りを見せつけてゴール板を切ったのでした。
実はヴィクトワールピサは2010年にフランスに遠征し、凱旋門賞に挑戦している。ニエル賞では4着、凱旋門賞では7着で締めくくられています。
その後のジャパンカップ、有馬記念ではその脚の鋭さが身を潜めてしまい、引退をしました。2010年には最優秀3歳牡馬、2011年には最優秀4歳以上牡馬に表彰されています。
A2-13:国内G1未勝利ながらも人々の記憶に残る競走馬。ルーラーシップ(Rulership)
父にキングカメハメハ、母にエアグルーヴをもつルーラーシップは、超良血馬といっても過言ではないでしょう。皐月賞出走までには間に合うことが出来なかったが、プリンシパルSを一着で通過し、日本ダービー出走権を手に入れたルーラーシップは、5着でしたが掲示板内に載ることができました。休養を挟んで挑んだ鳴尾記念では、同期のヒルノダムールを下して一着になります。初めての重賞レース制覇でした。有馬記念では6着と結果は振るわなかったが、年明けの日経新春杯では、ヒルノダムールとローズキングダムを下して一着になり、これで重賞レース2勝となりましたが、まだG1まで届くことが出来ていませんでした。
陣営は海外レースに絞りましたが、折り合いが欠けてしまい6着に終わってしまいました。国内に戻ってきたルーラーシップは、金鯱賞へと駒を進めることになります。ですがスタートで飛び上がり、落馬寸前の態勢までいってしまったが、最終コーナーからまくり気味に進出すると、その直線で力を発揮し、キャプテントゥーレやアーネストリーらを追い抜き、優勝したのでした。
しかし、なかなかG1を勝つことが出来なく、天皇賞・秋を回避し、有馬記念に挑むが、結果は4着となる。G2/G3レースでは、2012年のアメリカJCCに完勝したのだが、大きな期待を受けた日経賞ではまさかの3着と終わってしまいました。
勢いを失ってしまったのかという心配を抱えつつ、二度目の海外遠征を迎えるルーラーシップ。今回のレースは香港のクイーンエリザベス2世Cだった。道中3番手だったインを追走するように走り、内をすくって走り抜けていくと、直線に入ったところで先頭につくと、4コーナーでアイルランドのダービー馬・トレジャービーチを置き去りにしていき、そのまま後続の競走馬たちとの差を広げていきます。最後は前年香港ヴァーズ2着馬のサムザップに4馬身近い差をつけて優勝するのでした。圧巻の走りで、初めてG1レースを制覇することができたのです!
この勢いで国内のG1もとりたい! という陣営の気持ちとは裏腹に、宝塚記念・ジャパンカップ・天皇賞秋・有馬記念に参戦したものの、ついに二つ目のG1タイトルを勝ち取ることができませんでした。有馬記念を終えてから、引退し種牡馬生活を送っています。
産駒も父親譲りの粘り強い脚が光る子もいるので、個人的に注目しています! ちなみに好きなルーラーシップ産駒馬はソウルラッシュとマスクドディーヴァです!!
A2-14:某漫画のアニメ監督が馬主の競走馬。ジャスタウェイ(Just a Way)
ジャスタウェイは新馬戦こそ5馬身差で圧勝して勝利し、一気に注目を浴びる存在になったのですが、それ以降のレースでは2012年のアーリントンカップの優勝を最後に、勝利からほど遠い存在に置かれる立場になっていましたが突然覚醒しました。きっかけは2013年のG3エプソムカップで2着になったこと。そこからG3関屋記念、G2毎日王冠を順位落とすことなく2着で進んできたのです! そして運命の天皇賞・秋。ジャスタウェイは5番人気で単勝オッズ15.5倍と(単勝オッズとしてはかなり微妙な数字です)、あまり期待されている雰囲気ではありませんでした。なぜかというと、このレースにはジェンティルドンナという女帝が参戦しており、ファンの期待はほぼ彼女に向いていたことにあります。ですがレースの終盤、観衆には驚きと嘆きが入り混じりました。なんとあのジャスタウェイがジェンティルドンナに4馬身差をつけて一着になったからです。まさに突然の覚醒でした。1年8カ月振りの白星は、初G1勝利となりました。
休養明けの5歳の初戦。G2中山記念もファンは半信半疑という思いが、オッズにも影響しており、5.3倍という数字に表れていました。結果は3馬身離しての一着になり、まぐれではないことを証明したのです。次走を海外遠征したジャスタウェイは、ドバイのG1である、ドバイデューティーフリーに参戦します。結果は今までのジャスタウェイからは考えられないくらい、好調なタイムと走りでした。レース史上最大の6馬身4分の1差で、従来レコードを2秒あまり更新する勝利を飾った。帰国後に不良馬場となったG1安田記念にも勝利した勢いで、フランスへ遠征し凱旋門賞へ挑戦するも、結果は8着となり終わってしまいました。
帰国後にG1ジャパンカップ、G1有馬記念に出走しましたが、惜しまれつつ有馬記念出走後に引退し、種牡馬生活を送ることになりました。
A2-15:波乱万丈な競馬人生を歩み、夢を与え続けた。キズナ(Kizuna)
父にディープインパクト、半姉にG1・3勝のファレノプシスを持つキズナは、北海道の新冠町のノースヒルズで生まれました。
2歳10カ月までは2連勝まで進めることができたのだが、当時鞍上の佐藤哲三騎手が落馬事故を起こしてしまい、急きょ鞍上が武豊騎手へと変更になる。しかし、クラシック路線への登竜門と言われるラジオNIKKEI杯2歳S、3歳初戦の弥生賞に連敗してしまったのです。陣営は弥生賞での脚質を見定め、皐月賞を回避して日本ダービー直行のプランを立てます。そこからは毎日杯・京都新聞杯を連勝で結果を出し、日本ダービーへの切符を手にします。
日本ダービーでのキズナは堂々の一番人気。レースが始まるとキズナは、最後方に近い位置からスタートを切ります。直線に入り、馬群で押し寄せる狭い進路を間一髪で通り抜け、先に抜け出していたエピファネイアを差し切ってゴールしました。武豊騎手にとっては、キズナの父であるディープインパクト以来、8年振り5度目のダービー制覇。落馬事故を起こして以来苦しい思いをしてきた名手にとっては、キズナとの「絆」で復活をします!
キズナもまた、父・ディープインパクトと同様に凱旋門賞に挑戦することとなる。実はその年のダービー馬が凱旋門賞に挑戦するというのは史上初でした。前哨戦である「ニエル賞」で優勝したが、本番「凱旋門賞」では4着という結果で終わってしまいましたが、日本調教馬の中では優秀な成績をおさめて帰国します。
帰国後は半年の休養を経て、4歳初戦の産経大阪杯を優勝したが、それがキズナ最後の1着となってしまいます。次走の天皇賞・春でレース後に骨折が判明、5歳の春に復帰するものの、勝利を挙げることができず、その年の秋に浅屈腱炎と診断を受け、そのまま引退することとなってしまいました。
個人的にはキズナの怪我や引退にはショックを覚えた記憶があります。それほどとてもいい走りをする競走馬でした。現在は種牡馬生活を送っています。彼の産駒は、非常に根性のある走りをするなーと思います!
◇最後に◇
今回は5頭紹介しました。まだまだ中編は続きますので、どうぞ見守って下さると嬉しいです。そして日本調教馬・日本競馬界の進化も同時に見て下さると嬉しいです。それでは、一旦ここでお別れして、次章「中編その2」へ続きます!
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