日本語でしかわからない?和歌の魅力 古今和歌集 巻三:夏 135首~140首

日本語でしかわからない?和歌の魅力 古今和歌集 巻三:夏 135首~140首

古今和歌集 巻三:夏 135~140首の魅力

古今和歌集 巻三:夏 135~140首の魅力

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『古今和歌集』の夏の和歌は、自然の変化や季節の移り変わりを繊細に描いており、日本の美意識を深く感じさせます。本記事では、135首から140首までの和歌の魅力を、それぞれの背景と翻訳では伝わりにくい美しさとともに紹介します。

135首 読人不知(よみ人しらず)

第135首 読人不知(よみ人しらず)

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和歌
わがやどの   池の藤波  さきにけり    山郭公   いつかきなかむ

ローマ字読み
Wagayado no ike no fujinami saki ni keri yama hototogisu itsu ka ki nakamu

意味 私の家の庭の池に藤の花が咲いた。山の郭公よ、お前はいつ鳴くのだろうか。

背景と魅力 藤の花の美しさと、郭公(ほととぎす)の鳴き声を待ち望む心情が詠まれています。藤の花がすでに咲いているのに、郭公がまだ鳴かないという対比が、静かな期待感を生み出しています。翻訳では、この「待つ」という情感や、季節の移ろいへの感慨が十分に伝わりにくい点が特徴です。

136首 紀利貞(きのとしさた)

第136首 紀利貞(きのとしさた)

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和歌
あはれてふ  事をあまたに  やらじとや  春におくれて ひとりさくらむ

ローマ字読み
Aware to fu koto o amata ni  yaraji to ya haru ni okurete hitori sakuramu

意味 「素晴らしい」という賞賛の声を独り占めにしたいのか、春が過ぎた後にただ一つ咲いているようだ

背景と魅力 春に咲く花がすでに散ってしまったのに、一輪だけ遅れて咲く桜の様子を詠んでいます。人の世の寂しさや取り残される感覚を表現しつつも、桜の花がしたたかに振る舞うかのように擬人化しています。翻訳では、この「遅れて咲く」ことの象徴的な意味が伝わりにくいのが特徴です。

137首 読人不知(よみ人しらず)

第137首 読人不知(よみ人しらず)

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和歌
 さ月まつ     山郭公    うちはぶき  今もなかなむ こぞのふるごゑ

ローマ字読み
Satsuki matsu yama hototogisu uchi wa buki ima mo nakamu kozo no furugoe

意味 五月を待つ山の郭公よ、羽を打ちふるって今も去年と変わらぬ声で鳴いてほしいものだ。

背景と魅力 古い時代の人々も、去年と同じように郭公の声を聞いていたという、時の流れを感じさせる一首です。「こそのふるこゑ」は、昔と変わらない鳥の声を意味し、時間の連続性を強調しています。翻訳では、この歴史のつながりの感覚が伝わりにくい点が魅力の一つです。

138首 伊勢(いせ)

第138首 伊勢(いせ)

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和歌
 五月こば   なきもふりなむ   郭公   まだしきほどの こゑをきかばや

ローマ字読み
Satsuki ko ba naki mo furinamu hototogisu mada shiki hodo no koe o kikabaya

意味 五月にもなれば、郭公はたくさん鳴くだろうか。せめてその時期にもならない内に、初々しい声を聴きたいものだ。

背景と魅力 郭公の声も春の盛りには当たり前になるから、その前の初声を聴いてみたいという願望が読み取れます。翻訳では、初物を珍重する感情が十分に表現しにくい点が魅力です。

139首 読人不知(よみ人しらず)

第139首 読人不知(よみ人しらず)

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和歌
 さつきまつ    花橘の    かをかげば   昔の人の    袖のかぞする

ローマ字読み
Satsuki matsu hana tachibana no kao kageba mukashi no hito no sode no kazosuru

意味 五月を待ち望んでいた橘の花の香りが、昔の人の袖の香りを思い出させる。

背景と魅力 橘の花の香りが、過去の思い出を呼び起こすという感傷的な表現です。「袖のかそする」という表現が、過去の恋人や懐かしい人への想いを連想させます。翻訳では、香りを通じた記憶の喚起という繊細な感覚を完全に伝えるのが難しい点が特徴です。

140首 読人不知(よみ人しらず)

第140首 読人不知(よみ人しらず)

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和歌
いつのまに   さ月きぬらむ  あしびきの    山郭公    今ぞなくなる

ローマ字読み
Itsu no ma ni satsuki kinuramu ashibiki no yama hototogisu ima zo naku naru

意味 いつの間にか五月が来ていたのだろうか。山の郭公が今まさに鳴いている。

背景と魅力 月日の流れを実感し、気づけば五月になっていたという驚きとともに、郭公の鳴き声を聞くことで季節の移ろいを強く感じています。翻訳では、この「いつの間にか時が過ぎていた」という感覚の微妙なニュアンスが伝わりにくい点が特徴です。

まとめ

まとめ

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135首から140首の和歌は、夏の訪れと共に感じる儚さや、自然と人の心のつながりを巧みに表現しています。特に、

  • 郭公の声を待ち望む期待感(135、138、140首)
  • 遅れて咲く花に託された孤独の情感(136首)
  • 香りを通じた過去との結びつき(139首)

など、日本語特有の情緒が随所に散りばめられています。和歌の世界を通じて、日本の自然観や時の流れの捉え方を深く味わうことができます。

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