日本語でしかわからない?和歌の魅力 古今和歌集 巻四:秋上 211首~220首

日本語でしかわからない?和歌の魅力 古今和歌集 巻四:秋上 211首~220首
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古今和歌集 巻四 秋上 第211首~第220首の良さ
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第211首から第220首は、日本文化特有の自然への畏敬、人間関係への感慨、そして言葉遊びによる奥深さが融合した作品群です。

秋という季節そのものが持つ儚さと美しさを通じて、人間の心情や人生観を表現しており、それこそがこれら和歌の最大の良さと言えるでしょう。

和歌:
 夜をさむみ 衣かりがね なくなべに 萩のしたはも うつろひにけり

ローマ字:
Yo o samumi koromo karigane nakunabe ni hagi no shitaha mo utsuroi ni keri

第211首 作者: 読人不知 (一説に柿本人麻呂・Kakinomoto no Hitomaro)
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意味: 夜が寒くなり衣を借りるほどだ、雁の鳴く声とともに萩の下葉も色あせてしまった。

背景: 秋の訪れを「衣を借りる」という生活感と「雁の声」「萩の衰え」で表現。寒さと寂寥感が交錯する。

翻訳の難しさ: 「うつろひにけり」の部分が、季節の移り変わりや萩の花の散り様を象徴的に示し、無常感を強調している。

和歌:
 秋風に こゑをほにあけて くる舟は あまのとわたる かりにぞありける

ローマ字:
Akikaze ni koe o ho ni akete kuru fune wa ama no to wataru kari ni zo arikeru

第212首 作者: 藤原菅根朝臣 (Fujiwara no Sukene Ason)
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意味: 秋風吹く時に帆を張り、船頭たちが声張りあげ漕ぎ行く舟は、天の水門渡る雁の群れだった。

背景: 舟の到来を雁の群れと見立てる比喩が鮮やか。宮廷歌合での即興性を感じさせる。

翻訳の難しさ: 「あまのと」は「海の戸」と「天の門」の掛詞。現実と幻想の境界が曖昧な表現。

和歌:
 うき事を 思ひつらねて かりがねの なきこそわたれ 秋のよなよな

ローマ字:
Uki koto o omoi tsuranete karigane no naki koso watare aki no yo nayo na

第213首 作者: 躬恒 (Mitsune)
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意味: 憂き思いを一つ一つ連ねるように、雁の群れが列をなして鳴きながら渡っていく、秋の夜毎に。

背景: 秋の夜の静けさの中で、雁の鳴き声が一層寂しさを引き立て、無常の感情が強調される。

翻訳の難しさ: 「うきことを 思ひつらねて」という部分が、単なる思い出や感情の積み重ねではなく、深く絶え間ない思索と哀愁を表現している。

和歌:
 山里は 秋こそことに わびしけれ しかのなくねに めをさましつつ

ローマ字:
Yamazato wa aki koso kotoni wabishikere shika no naku ne ni me o samashi tsutsu

第214首 作者: 忠峯 (Tadamine)
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意味: 山里の秋は特に寂しい。鹿の鳴く声で目を覚ましてしまう。

背景: ただでさえ人の少ない山里で、鹿の声を聞くと人恋しさが募り物寂しい気持ちがより強くなる。

翻訳の難しさ: 「わびしけれ」の古語の響きが、寂しさの質感を独特に伝える。

和歌:
 おく山に 紅葉ふみわけ なく鹿の こゑきく時ぞ 秋は悲しき

ローマ字:
Okuyama ni momiji fumiwake naku shika no koe kiku toki zo aki wa kanashiki

第215首 作者: 読人不知
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意味: 深い山で紅葉を踏み分け、鳴いている鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいと感じる。

背景: 散った紅葉と鹿の声、視覚と聴覚の両方が秋の物悲しさを表している。

翻訳の難しさ: 「紅葉踏みわけ」という表現は、自然の中で鹿が動く音や景色を強く意識させるもので、視覚と聴覚が交錯することで、秋の悲しさがより深く感じられる日本的な感覚が伝わりにくい部分。

和歌:
 秋萩に うらびれをれば あしびきの 山したとよみ 鹿のなくらむ

ローマ字:
Aki hagi ni ura bire ore ba ashibiki no yamashita to yomi shika no nakuran

第216首 作者: 読人不知
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意味: 秋萩を見て心寂しく思っているからだろうか、山の麓が響くように鹿が鳴いている。

背景: 秋萩を見たときの心寂しさと、鹿の鳴き声が呼応するように描かれており、秋の深まりと恋しさ・哀愁を表現した歌。

翻訳の難しさ: 特に「うらびれ」という言葉は、単に「しょんぼり」と訳されるだけではなく、深い悲しみや孤独感を含んでいます。

和歌:
 秋はきを しからみふせて なくしかの めには見えずて おとのさやけさ

ローマ字:
Aki haki o shikarami fusete naku shika no me ni wa miezu te oto no sayakesa

第217首 作者: 読人不知
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意味: 秋萩がからむのを倒して鳴く鹿の姿は目に見えないが、声ははっきりと聞こえる。

背景: 視覚と聴覚の対比が、秋の透明な情感を浮かび上がらせる。

翻訳の難しさ: 「見えずて音のさやけさ」による“見えないのに鮮やかに聞こえる”という感覚の対比が、日本独特の繊細な情緒を表している。

和歌:
 あきはぎの 花さきにけり 高砂の をのへのしかは 今やなくらむ

ローマ字:
Aki hagi no hana saki ni keri Takasago no onoe no shika wa ima ya nakuran

第218首 作者: 藤原敏行朝臣 (Fujiwara no Toshiyuki Ason)
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意味: 秋萩の花が咲いた。高砂の峰の鹿も鳴いているだろう。

背景: 秋の訪れを感じ取る歌。鹿の鳴き声は恋の象徴でもあり、もの寂しい情緒が込められている。

翻訳の難しさ:「今や鳴くらむ」の“や”と“らむ”が、直接見えない情景を想像し、遠くの気配に心を寄せる日本的な感覚を表している。

和歌:
 秋萩の 古枝にさける 花見れば もとの心は わすれざりけり

ローマ字:
Aki hagi no furue ni sakeru hana mire ba moto no kokoro wa wasure zari keri

第219首 作者: 躬恒 (Mitsune)
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意味:萩の古い枝に咲いた花を見ると、昔の心は忘れないものだ。

背景: 昔親しかった異性と秋の野で偶然再会し、過去の思い出や変わらぬ心を萩の花に重ねた場面

翻訳の難しさ: 再会の場面や「古枝=過去の関係」「花=変わらぬ思い」という象徴的な重なりは、翻訳だけでは伝わりにくい

和歌:
 あきはぎの 下葉色づく 今よりや ひとりある人の いねがてにする

ローマ字:
Aki hagi no shitaha irozuku ima yori ya hitori aru hito no i negate ni suru

第220首 作者: 読人不知
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意味: 秋萩の下葉が色づく今から、独り寝をする人が寝難くなる。

背景: 葉の色の変化と孤独な寝床の冷たさを重ね、秋の深まりを体感させる。

翻訳の難しさ: 秋萩の下葉の色づきを「冷めた関係の象徴」と「季節の移ろいの描写」の二重性で捉える点。

まとめ
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古今和歌集の秋歌は、自然の細やかな変化と人間の情感を「音」と「言葉遊び」で結びつける。雁の声、鹿の鳴き声、衣を借りる生活感——これらはすべて季節の移ろいを「聴覚」で捉えようとする平安人の感性を物語る。

とりわけ「かりかね」「しからみ」といった掛詞は、日本語の多義性を最大限に活用し、翻訳では失われる「言葉の立体感」を生み出している。各歌の背景にある宮廷文化や個人の思いが、31文字に凝縮された技芸ともいえるだろう。

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