古今和歌集 巻四「秋上」169首~180首

『古今和歌集』巻四・秋上の169首から180首は、日本の和歌の美しさと季節の移ろいを繊細に詠んだ名歌が並んでいます。この一連の歌は、秋の始まりを告げる風や天の川、七夕の伝説などを題材にし、視覚だけでなく聴覚や心情までも巧みに表現しています。ここでは、作者名、和歌、ローマ字読み、意味、背景、そして翻訳では伝わらない和歌の良さをそれぞれ詳しく紹介します。
第169首 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)

和歌:
あききぬと めにはさやかに 見えねとも 風のおとにそ おとろかれぬる
ローマ字:
Akikinu to me ni wa sayaka ni mienetomo kaze no oto ni zo odorokarenuru
意味:秋が来たとは、目にははっきりとは見えないけれど、風の音にふと驚かされた。
背景:この和歌は、立秋の日に詠まれたもの。目に見えない季節の移ろいを、風の音によって感じ取るという、日本ならではの感性が表現されています。
翻訳では伝わらない良さ:日本語の「さやかに」「おとろかれぬる」といった言葉の響きと余韻は、風の音が運ぶ秋の気配を情緒的に伝えており、これは翻訳では表しきれない繊細な美しさです。
第170首 紀貫之(きのつらゆき)

和歌:
河風の すすしくもあるか うちよする 浪とともにや 秋は立つらむ
ローマ字:
Kawakaze no susushiku mo aru ka uchiyosuru nami to tomoni ya aki wa tatsuramu
意味:川風が涼しく感じるけれど、打ち寄せる波とともに秋もやって来たのだろうか。
背景:秋の始まりを、川風の涼しさと波の音によって感じ取る情景が描かれています。
翻訳では伝わらない良さ:「すすしく」や「うちよする」の音の響きと、川の流れと秋の気配が一体となる情感は、日本語特有の繊細な表現です。
第171首 読人不知(よみびとしらず)

和歌:
わかせこか 衣のすそを 吹返し うらめつらしき 秋のはつ風
ローマ字:
Wakaseko ka koromo no suso wo fukikaeshi urametsurashiki aki no hatsukaze
意味:私の愛しい人の衣の裾を吹き返す風が、なんとも恨めしく感じられる秋の初風だ。
背景:秋の訪れを告げる初風に、愛する人を思う気持ちと、会えない寂しさが重なっている。
翻訳では伝わらない良さ:「うらめつらしき」という表現の含みと余韻が、日本語の感情の機微を繊細に表している。
第172首 読人不知(よみびとしらず)

和歌:
きのふこそ さなへとりしか いつのまに いなはそよきて 秋風の吹く
ローマ字:
Kinou koso sanae torishika itsu no ma ni inaba soyokite akikaze no fuku
意味:昨日はまだ苗を取っていたばかりなのに、いつの間にか稲の葉がそよぎ、秋風が吹いている。
背景:季節の移ろいの速さと、秋の到来を自然の姿から感じ取る日本人の感性が詠まれている。
翻訳では伝わらない良さ:「そよきて」という言葉の柔らかな音と動きが、秋風のささやかな存在感を美しく表現している。
第173首 読人不知(よみびとしらず)

和歌:
秋風の 吹きにし日より 久方の あまのかはらに たたぬ日はなし
ローマ字:
Akikaze no fukinishibi yori hisakata no ama no kawara ni tatanu hi wa nashi
意味:秋風が吹き始めた日から、天の川のほとりに立って、あなたを待たない日はない。
背景:天の河原から彦星が年に一度、織女に逢いに来る七夕を題材に詠まれた歌で、秋風が吹きはじめた日から次の七夕の日までの一年近くを待つ織女の立場を歌に表している。
翻訳では伝わらない良さ:「久方の」という枕詞が生む余韻と、天の川の風景や、彦星、織姫伝説など、日本語特有の詩的な空間を作り出している。
第174首 読人不知(よみびとしらず)

和歌:
久方の あまのかはらの わたしもり 君わたりなは かぢかくしてよ
ローマ字:
Hisakata no ama no kawara no watashimori kimi watarinaba kajikaku shiteyo
意味:天の川の渡し守よ、あの方が渡ってしまわれたなら舟のかじを隠してしまってください。
背景:七夕の伝説を背景に、通ってくる夫を待つ当時の女性の姿を感じさせる。
翻訳では伝わらない良さ:「かぢかくしてよ」という表現の、切実な願いと親しみを込めた言葉の響きは、日本語ならではの情緒を感じさせる。
第175首 読人不知(よみびとしらず)

和歌:
天河 紅葉をはしに わたせはや たなはたつめの 秋をしもまつ
ローマ字:
Amanokawa momiji wo hashi ni watase haya tanabata tsume no aki wo shimo matsu
意味:天の川は紅葉を橋にして渡すからだろうか、織女星がとくに秋ばかりを待って逢うのは。
背景:七夕伝説と秋の風景を結びつけた、幻想的で情感あふれる和歌。
翻訳では伝わらない良さ:「はしにわたせはや」のリズムと発想の豊かさが、日本の詩的想像力の高さを表している。
第176首 読人不知(よみびとしらず)

和歌:
こひこひて あふ夜はこよひ あまの河 きり立ちわたり あけすもあらなむ
ローマ字:
Kohikohite au yo wa koyohi ama no kawa kiri tachi watari akesu mo aranamu
意味:恋い焦がれてようやく会える今夜、天の川には霧が立ち込め、明けずにいてほしい。
背景:七夕の夜、織姫と彦星の逢瀬を重ね、自分の恋の切なさを詠んだ歌。
翻訳では伝わらない良さ:日本語の「こひこひて」の繰り返しが、焦がれる思いの強さを感じさせる。霧が立つという自然の情景と恋心が見事に重なり合っている。
第177首 友則(とものり)

和歌:
天河 あさせしら浪 たとりつつ わたりはてねは あけそしにける
ローマ字:
Amanokawa asase shiranami tadoritsutsu watari hatene wa akeso shinikeri
意味:天の川の浅瀬を知らなかったので、白波をたどるように渡っていったら、渡りきる前に夜は明けてしまった。
背景:織姫と彦星の年に一度の逢瀬をイメージし、夜明けの無情さを描く。
翻訳では伝わらない良さ:「たどりつつ」の言葉のリズムと、波をたどる様子が恋路の困難さと重ねられている。
第178首 興風(おきかぜ)

和歌:
契りけむ 心そつらき たなはたの 年にひとたひ あふはあふかは
ローマ字:
Chigirikemu kokoro so tsuraki tanabata no toshi ni hitotabi au wa au kawa
意味:一年に一度しか合わない約束をした心はつれないものだ、年に一度しか会えないのでは、本当にあったと言えないのではないか。
背景:七夕伝説を背景に、恋人に会えない辛さを嘆いた歌。
翻訳では伝わらない良さ:「心そつらき」の表現にこめられた恨みや切なさが、日本語独特の情感を際立たせている。
第179首 躬恒(みつね)

和歌:
年ことに あふとはすれと たなはたの ぬるよのかすそ すくなかりける
ローマ字:
Toshikoto ni au to wa suredo tanabata no nuru yo no kasu zo sukunakarikeru
意味:年に一度会いはするけれど、一年に一度のことであるから織女と彦星が共に寝る夜は少ないことだ。
背景:七夕の夜の短さを、恋人との逢瀬の儚さに重ねた歌。
翻訳では伝わらない良さ:「かすそすくなかりける」の表現が、名残惜しさと切なさを余韻として響かせる。
第180首 躬恒(みつね)

和歌:
織女に かしつる糸の 打ちはへて 年のをなかく こひやわたらむ
ローマ字:
Tanabata ni kashitsuru ito no uchihahate toshi no wo nakaku koi ya wataranu
意味:七夕に貸した糸のようにずっと長く、これから何年も恋しい気持ちを持ちつづけるのだろうか
背景:七夕の織女の仕事を、自身の恋心に例えた歌。
翻訳では伝わらない良さ:「打ちはへて」の表現が、織り続ける行為と恋心の継続を美しく重ねている。
まとめ

『古今和歌集』秋上巻の169首から180首には、視覚だけでなく、風の音、波の音、空気の涼しさ、そして心の揺れ動きまでも詠み込んだ歌が並びます。特に日本語の音の美しさや、季節感を繊細に表現する言葉遣いは、翻訳では伝えきれない独特の魅力です。和歌のリズムや余韻、言葉の選び方が醸し出す情緒は、日本文化の深い味わいを感じさせます。
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