日本語でしかわからない?和歌の音韻とリズムの美しさ第5弾

日本語でしかわからない?和歌の音韻とリズムの美しさ第5弾

百人一首 第二十一首から第二十五首の魅力

百人一首 第二十一首から第二十五首の魅力
※画像はイメージです

日本の和歌には、その短い形式の中に情景描写や感情表現、文化的背景が織り込まれており、翻訳では伝えきれない美しさが込められています。ここでは百人一首の第二十一首から第二十五首を取り上げ、ローマ字表記、意味、背景、翻訳では伝わらない良さを詳しく解説します。それぞれの作者の読みも記載しています。

 第二十一首:素性法師(そせいほうし)

和歌:
 今来むと 言ひしばかりに  長月の    有明の月を   待ち出でつるかな

ローマ字表記:
Ima komu to Ihishi bakari ni Nagatsuki no  Ariake no tsuki o Machi idetsuru kana

意味: 今すぐ来ると言ったその言葉を信じて、夜遅くまで有明の月を待ち続けてしまいました。

第二十一首:素性法師(そせいほうし)
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背景: 素性法師は平安時代の僧侶で、この歌は待つことの切なさを有明の月に例えて詠んでいます。「長月」は旧暦の9月で、有明の月が夜遅くまで残る季節です。

翻訳では伝わらない良さ: 「言ひしばかりに」という日本語独特の響きが切なさを強調しています。また、「有明の月」を待つという情景は、日本の風情をよく表しています。

 第二十二首:文屋康秀(ふんやのやすひで)

和歌:
 吹くからに  秋の草木の  しをるれば   むべ山風を   嵐といふらむ

ローマ字表記:
Fuku kara ni Aki no kusaki no Shiorureba Mube yamakaze o Arashi to iuramu

意味: 風が吹いた途端に、秋の草木がしおれる。そのために山風を嵐と呼ぶのだろう。

第二十二首:文屋康秀(ふんやのやすひで)
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背景: 文屋康秀は六歌仙の一人で、この歌は自然の風景と理屈を結びつけるユーモラスな視点を持っています。秋の寂寥感と山風の力強さが融合した一首です。

翻訳では伝わらない良さ: 「むべ」という古語が持つ感慨深さや、「嵐」の語感が描き出す日本的な自然の情景が際立っています。

 第二十三首:大江千里(おおえのちさと)

和歌:
 月見れば   千々に物こそ   悲しけれ   わが身一つの   秋にはあらねど

ローマ字表記:
Tsuki mireba Chiji ni mono koso Kanashikere Waga mi hitotsu no Aki ni wa aranedo

意味: 月を見上げると、さまざまな物思いが募って悲しくなってくる。この秋の寂しさは私だけのものではないのに。

第二十三首:大江千里(おおえのちさと)
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背景: 大江千里は平安時代の歌人で、月を眺めることで感じる秋の寂寥感を詠みました。月は普遍的な象徴であり、多くの人々の感情を代弁しています。

翻訳では伝わらない良さ: 「千々に物こそ悲しけれ」という表現が持つリズム感や、「秋にはあらねど」という余韻が、日本語特有の美しさを醸し出しています。

 第二十四首:菅家(かんけ)

和歌:
 このたびは  幣も取りあへず   手向山    紅葉の錦    神のまにまに

ローマ字表記:
Kono tabi wa Nusa mo toriaezu Tamukeyama Momiji no nishiki Kami no mani mani

意味: 今回は幣も用意できないまま手向山に来てしまった。紅葉の錦を神々のお心のままに捧げよう。

第二十四首:菅家(かんけ)
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背景: 菅家(菅原道真)は学問の神として有名ですが、この歌では山の美しい紅葉を神々への捧げ物に例えています。自然と神への感謝が詠まれています。

翻訳では伝わらない良さ: 「紅葉の錦」という華やかな比喩と、「神のまにまに」という神秘的な響きが、日本の自然崇拝文化を象徴しています。

 第二十五首:三条右大臣(さんじょうのうだいじん)

和歌:
 名にし負はば   逢坂山の   さねかづら  人に知られで  来るよしもがな

ローマ字表記:
Na ni shi owaba Ousakayama no Sanekazura Hito ni shirarede Kuru yoshi mogana

意味: その名の通り、逢坂山のさねかずらのように、誰にも知られずにあなたのもとへ行く方法があればいいのに。

第二十五首:三条右大臣(さんじょうのうだいじん)
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背景: 三条右大臣は平安時代の貴族で、この歌は恋人への秘めた思いを詠んだものです。「さねかずら」は実際に山に生える植物で、絡みつく性質が恋心に例えられています。

翻訳では伝わらない良さ: 「名にし負はば」という表現の洒脱さや、「さねかづら」を通した自然描写と恋心の比喩が、日本語の美しさを象徴しています。

翻訳では伝わらない和歌の魅力

翻訳では伝わらない和歌の魅力
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和歌は、音の響き、掛詞、枕詞、文化的背景が絡み合い、その美しさを生み出しています。これらは翻訳ではほとんど再現が難しく、日本語でこそ楽しめる要素です。百人一首を通じて、日本語の豊かさや繊細な感情表現に触れ、言葉の持つ力を感じていただければと思います

最後に

最後に
※画像はイメージです

いくつか和歌を紹介してきましたが、好きなものは見つかったでしょうか。日本語を学ぶことはハードルも高く難しいことかと思いますが、和歌を一つ覚えてそれをきっかけに日本語や日本の文化に興味を持ってもらえれば幸いです。

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