日本語でしかわからない?和歌の魅力 古今和歌集 巻四:秋上 181首~190首

日本語でしかわからない?和歌の魅力 古今和歌集 巻四:秋上 181首~190首
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古今和歌集の巻四:秋上181首から190首の魅力
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古今和歌集の巻四:秋上181首から190首は、秋の情景や心情を繊細に描写した和歌の集まりです。これらの和歌は、日本の四季の中でも特に趣深い秋を題材に、その美しさや儚さ、そして人々の心に映る秋の姿を巧みに表現しています。

これらの和歌の良さは、わずか31音という限られた音数の中で、豊かな情景や複雑な感情を表現する技巧にあります。また、日本語特有の言葉の響きや掛詞、縁語などの技法を駆使し、重層的な意味を持たせている点も特筆すべきです。

翻訳では伝わりにくい和歌の良さとして、以下の点が挙げられます:

  • 音の響き:日本語の音の美しさや韻律感
  • 掛詞や縁語:一つの言葉に複数の意味を持たせる技法
  • 季語や歳時記的表現:日本の四季や文化に根ざした表現
  • 余韻や含蓄:直接的に表現せず、読み手の想像力に委ねる表現

それでは、各和歌を詳しく見ていきましょう。

第181首 作者名:素性(そせい)
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和歌
 こよひこむ 人にはあはじ たなばたの ひさしきほどに まちもこそすれ

ローマ字読み
Koyoi komu hito ni wa awaji tanabata no hisashiki hodo ni machi mo koso sure

意味
今宵来るはずの人には会えないだろう。織姫のように長い間待ち続けることになるのだろう。

背景
七夕伝説を踏まえた歌で、恋人との逢瀬を待つ心情を織姫の待つ心に重ねて詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ
「たなはた」(織姫)と「ひさしき」(長い)の掛詞や、「まち」(待つ)と「まち」(町)の縁語など、日本語特有の言葉遊びが楽しめます。また、七夕伝説という文化的背景が前提となっている点も、翻訳では伝わりにくい要素です。

第182首 作者名:宗于(むねゆき)
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和歌
 今はとて わかるる時は 天河 わたらぬさきに そでぞひぢぬる

ローマ字読み
Ima wa tote wakaruru toki wa amanogawa wataranu saki ni sode zo hidinuru

意味
今こそ別れの時と、天の川を渡る前に袖が濡れてしまった。

背景
七夕の夜明けに詠まれた歌で、織姫と彦星の別れの場面を想像して詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ
「そで」(袖)が涙に濡れるという日本的な表現や、「天の川を渡る」という七夕伝説の比喩が使われています。これらの文化的背景や表現の繊細さは翻訳では十分に伝わりにくいでしょう。

第183首 作者名:忠峯(ただみね)
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和歌
 けふよりは いまこむ年の きのふをぞ いつしかとのみ まちわたるべき

ローマ字読み
Kyo yori wa ima komu toshi no kinou o zo itsushika to nomi machi wataru beki

意味
今日からは、来年の昨日、七夕の日が早く来ればいいと、ただひたすら待ち続けることになるだろう。

背景
織姫と彦星が再会を待ち望む気持ちが詠まれています。七夕の翌日に詠まれた歌で、次の年の七夕を待ち望む心情を表現しています。

翻訳では伝わらない良さ
「きのふ」(昨日)と「いまこむとし」(来年)を対比させる時間の表現や、「まちわたる」(待ち続ける)という複合動詞の使用など、日本語特有の時間感覚や言葉の重層性が見られます。

第184首 作者名:読人不知(よみびとしらず)
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和歌
 このまより もりくる月の 影見れば 心づくしの 秋はきにけり

ローマ字読み
Kono ma yori morikuru tsuki no kage mireba kokoro dukushi no aki wa ki ni keri

意味
木々の間から漏れ出る月の光を見ると、心づくしの(古語では「さまざまに気をもむこと。心労の多いこと。また、物思いの限りを尽くすこと。)秋がやってきたのだと気づいた。

背景
秋の夜に月を見て、季節の移ろいを感じ取る様子を詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ
「もりくる」(漏れ来る)という複合動詞や、「心づくし」という表現の繊細さ、そして「きにけり」という気づきを表す助動詞の使用など、日本語特有の微妙な感情表現が見られます。

第185首 作者名:読人不知(よみびとしらず)
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和歌
 おほかたの 秋くるからに わが身こそ かなしき物と 思ひしりぬれ

ローマ字読み
Ohokata no aki kuru kara ni waga mi koso kanashiki mono to omohi shiri nure

意味
辺り一面に秋が訪れるにつれて、我が身こそが悲しいものだと思い知らされた。

背景
秋の訪れとともに感じる人生の無常や寂しさを詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ
「おほかた」(大方)という言葉の使用や、「かなしき」(悲しい)という感情表現の深さ、そして「思ひしりぬれ」という複合的な表現など、日本語特有の言葉の重層性が見られます。

第186首 作者名:読人不知(よみびとしらず)
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和歌
 わがために くる秋にしも あらなくに むしのねきけば まつぞかなしき

ローマ字読み
Waga tame ni kuru aki ni shimo aranaku ni mushi no ne kikeba matsu zo kanashiki

意味
私のためだけに来る秋ではないのに、虫の音を聞くと、なおさら悲しく感じられる。

背景
秋の虫の音を聞いて、季節の移ろいと共に感じる寂しさを詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ
「わがため」(自分のため)という表現や、「むしのね」(虫の音)という日本的な季節感、そして「まつぞかなしき」という強調表現など、日本語特有の繊細な感情表現が見られます。

第187首 作者名:読人不知(よみびとしらず)
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和歌
 物ごとに 秋ぞかなしき もみじつつ うつろひゆくを かぎりと思へば

ローマ字読み
Mono goto ni aki zo kanashiki momiji tsutsu utsurohi yuku o kagiri to omoeba

意味
あらゆるものが秋には悲しく感じられる。紅葉しながら移ろいゆき美しくなるが、それが終わりになると思えば。

背景
秋の紅葉を見て、生命の儚さや無常を感じ取る様子を詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ
「ものごと」(あらゆるもの)という表現や、「もみち」(紅葉)という季節を象徴する言葉、そして「うつろひゆく」(移ろいゆく)という複合動詞の使用など、日本語特有の季節感や変化の表現が見られます。

第188首 作者名:読人不知(よみびとしらず)
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和歌
 ひとりぬる とこは草ばに あらねども 秋くるよひは つゆけかりけり

ローマ字読み
Hitori nuru toko wa kusaba ni aranedomo aki kuru yoi wa tsuyu kekari keri

意味
一人で寝る床は野原の草むらではないのに、秋が来る夜は露けさを感じる。

背景
秋の夜の寂しさや冷たさを、一人寝の寂しさに重ねて詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ
「ひとりぬる」(一人で寝る)という表現や、「くさば」(草葉)と「つゆけ」(露けさ)の対比、そして「かりけり」という助動詞の使用など、日本語特有の繊細な感覚表現が見られます。

第189首 作者名:読人不知(よみびとしらず)
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和歌
 いつはとは 時はわかねど 秋のよぞ 物思ふ事の かぎりなりける

ローマ字読み
Itsu wa to wa toki wa wakane do aki no yo zo mono omou koto no kagiri nari keru

意味
いつとはなく物思いにふけることがあるが、秋の夜こそが物思いにふける限りだったのだ。

背景
秋の夜長に感じる思いの深さを詠んでいます。

翻訳では伝わらない良さ
「いつは」(いつまで)という疑問表現や、「ものおもう」(物思いにふける)という複合動詞、そして「かぎりなりける」という気づきを表す表現など、日本語特有の時間感覚や心情表現が見られます。

第190首 作者名:躬恒(みつね)
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和歌
 かくばかりを しと思ふ夜を いたづらに ねてあかすらむ 人さへぞうき

ローマ字読み
Kaku bakari o shi to omou yo o itazura ni nete akasu ramu hito sae zo uki

意味
明けるのがこれほど惜しいと思う秋の夜を、何もせずむだに寝て明かす人を恨めしく思う。

背景
夜の歌会で、躬恒が歌を詠むのは、その身分の低さゆえ、相当な後半。そうなると、中には居眠りをしている人もいたのかもしれない。「何のために集まられたのですか?もったいない」、下級官僚でありながら、身分の上の人を、からかうような歌。おそらく、その場もわいたのではないでしょうか。

翻訳では伝わらない良さ
「をし」(惜しい)という感情表現や、「いたづらに」(むなしく)という副詞的表現、そして「うき」(憂鬱だ)という形容詞の使用など、日本語特有の繊細な感情表現が見られます。

まとめ
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古今和歌集の秋の歌々は、日本の四季の中でも特に情緒深い秋を様々な角度から描き出しています。これらの和歌は、自然の移ろいと人の心を巧みに重ね合わせ、日本語の持つ繊細な表現力を存分に活かしています。

翻訳では失われがちな言葉の響きや文化的背景、そして余韻や含蓄といった要素が、これらの和歌の真の魅力を形作っているのです。日本語を母語とする私たちだからこそ、その奥深さや美しさを十分に味わうことができるのかもしれません。

これらの和歌を通じて、日本の文学と言語の豊かさを多くの方に認識して貰えれば嬉しく思います。

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